2017年7月26日 (水曜日)

人間の本質特徴としての思索

P7230301 今午後3時を過ぎたところです。雨が上がり蝉の鳴き声が賑やかです。30度を越えていないのですが、湿度が高いせいか暑く感じます。空模様は雨雲があるようですっきりしません。

 毎日、パソコンにむかって先ずは起ちあげるためパスワードを打ち込むことになりますが、全く考えることもなく無意識に指が動いています。もちろん数十桁のパスワードというわけではありませんが。パスワードが身体、脳に刻印されているのでしょうか。学習されて記憶となるのでしょうか。しかし、まれに指が止まりメモしてあるパスワードを確認して打ち込むことがあります。考える、意識することなく動物の本能のように行うことができるとは、何なのでしょうか。昨日の自分、現在の自分、未来の自分は違います。が、過去・現在・未来をとおして変わらぬものが自分の中にあります。
 ある本を読んで触発されるままに、えらそうに訳の分からぬ思索などをしてみました。あのカントが言うように思索するとはまさに哲学するということでしょう。そのような時間を持てるのは隠居爺だからかもしれません。

 今日と明日、神楽坂まつりでほおずき市があります。夕方から散歩がてら足を伸ばしたい思いがある一方、家でおとなしくしていたほうがよいと思う矛盾する自分がいます。生きるとはそうした矛盾の間で揺れ動きながら在り続けることなのであると思います。二つの対立する矛盾をうけいれながら一人の自分が存在する、と言うことでしょうか。飛躍するかもしれませんが、こうした考え方はコンピュータには不可能でしょうね?コンピュータは数学的思考であるので。
 何をくだらないことを書き連ねていますか、と批判があるかもしれませんが、思索するということは、デカルトなどにまつまでもなく人間の本質特徴であると考えます。
 <今日の写真の花も公園の花壇に咲いていました。花は黙して語らず、しかし無知であることを覚えつつも爺は語ります。>

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