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2017年1月

2017年1月31日 (火曜日)

老人の戦略

P1010246日没時間が遅くなってきました。もう五時過ぎあたりですか。赤提灯がともる時間が遅くなります。最近は、寒いせいもありますが家飲みが多くなっています。また酒飲みの誘いも少なくなりました。仕事をしていた頃は、何かと酒の誘いがありましたが。それが世の習いというものでしょう。したがって、ジジイは独り酒の世界に入ることになりますo(*^▽^*)o
でも、そんなことで挫けずに?身体が続く限り飲み続けていきましょう。

写真は、先日の京都へ行く新幹線の車窓から撮ったものです。三島駅過ぎたあたりです。前に大学の清水校舎に単身赴任で勤務していたとき、東京からの行き帰りに富士の姿を目にしたものでした。大沢崩れが今も続いているのですか、遠い将来に富士山の形は変わるのでしょうか?

今夕刻、外から市役所のアナウンスがスピーカーから聞こえています。八十歳になるご老人が行方不明になっているということで、心当たりの方は警察までご連絡ください、という内容です。他人ごととは思えません。想像ゆたかにすれば、私の可能性もあるのです。が、そうならないように今から戦略を立てましょう、できるかな―。

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2017年1月30日 (月曜日)

春待つこころ

P1010250日中はもう春ですか、が、夕方には冷たい北風と共に気温が冬に戻りました。春を待つこころは乱れます。あるがままに春が来るのを静かに待てば良いものなのですが、そこは私の不徳のいたすところです。待つことはこころを乱します。待てなくなり無理やり時の流れを速くしようとしてもそれはできない相談です。心静かに待つには忍耐、信頼が求められます。

もう明日で1月も終わりです。正月からあっという間に時が流れた思いです。充実した時が流れたのかは分かりません。何か形になるものがあったか、と問われれば何もありません、というところです。でも風邪をひくこともなく健康であっただけでも一つの形があったと強弁しても良いでしょうか。

報道によればアメリカでは新たな国の形が始まっています。国はちがっても自分に関係ないとはいえないでしょう。国際政治はよく分かりませんが、今、世界はまず自分たちが第一、ファーストという潮流がでてきています。他者を排除して自分たち中心の世界をつくろうとしているように見えます。

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2017年1月29日 (日曜日)

京都の店で

P1010249これで2度目ですか、京都タワーに行きました。改装中でしたが、展望室は開いています。京都市の風景を一望しました。夜景は見ていませんがどうなんでしょうか。

夕方、ホテルを出て鳥料理の店で夕食をとりました。焼き鳥が中心ですが、いわゆる赤提灯の焼き鳥屋さんではなく鳥料理屋風です。私はメニューにのっていた日本酒「獺祭」をまず注文。やはりこの酒は好きです。後で隣席に英語圏の国の方でしょうか女性が二人いらして、酒を頼むのが見えました。それは京都の酒、「玉乃光」です。私は前に呑んだことがあり美味しかったですが、外国の方には「獺祭」の方が口にあったのではと内心思いました。人それぞれですが。メニューは英語版を渡して少々は英語を話す店員さんが応対していました。その二人の女性、つい気になって見てしまいましたが、最初の一口をおちょこに口をつけただけで、呑むのを止めていました。後は注文の食事を待っているように見えました。焼き鳥は注文せず出てきたのは親子丼でした。

前に、たまに酒飲みで立ち寄る東京、町田の店で中国人の客が来るようになって困っていると聞きました。中国語が分からないからです。私は中国語を話せる学生のバイトを求めたらと話しました。その店にはしばらく行っていません。外国からの観光客が増えて、そうした問題の対応はすすんでいるのでしょうか。

これから日本は観光国としてすすんでいくのでしょう。資源の少ない国としては一つの道でしょうが、「科学技術立国」を忘れてはいけないのではと思います。が、それと関連で気になるのは、この頃国の文教政策が人文軽視で理系重視に重点をおこうとしているようですが、それはどうなんでしょうか。「木を見て森を見ず」のごとしに思えます。これからの大学の将来が思い遣られます。哲学、理念なき科学技術では駄目です、私はそう考えています。

話を元に戻しますが、さきの外国の女性客、酒を飲み干して店を出たのでしょうか?先に店を出ましたので知るよしもありません。

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2017年1月28日 (土曜日)

京都で彷徨うジジイ

P1010252_2この週末、京都へ行ってきました。さきほど帰宅したところです。昨日、今日の京都は冬のというよりは春の古都でした。ダウンのコートを着ていかなくて良かったです。嵐山の川面が明るい陽光に輝いていました。相変わらず観光客で道は混雑していました。嵐電は1両編成でほぼ観光客とみられる乗客で占められていました。四条河原町の通りも同様でした。

まったくの観光で行ったわけでなくそこらあたりが微妙な旅行です。私一人なら歩きも定まりますが、同行者の都合もあり致し方なく<タリーズ>で時間つぶしをして待ち合わせするなど。まさに迷えるジジイが京都を彷徨っているかのようでした。若い頃は知らない街を彷徨うこと多く身体がついていきました。が、ジジイは身体がついていきません。自分の決めた行程にそって歩くぶんには結構歩くことができます。しかし、他人に合わせて歩くとなると身体がきつく感じます。もともとわがままにマイペースで生きてきた自分ですから。

次は春の桜の季節あたりに行きたいと思うのですが。


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2017年1月25日 (水曜日)

呑兵衛ジジイの強がり(続き)

P1010244_2前回、呑兵衛ジジイの強がりについて書きました。強がりも内容があって精神的、身体的に裏打ちされていればの話です。そうでないとただのホラ吹きジジイの遠吠えになってしまいます。振り返って、自信が失せていきそうですo(*^▽^*)o

用事で新宿駅西口から出てあるビルまで行ってきました。感じの良い女性に応対して頂き用事を済ませました。ジジイは嬉しかったです。新宿駅付近のうどんの店で昼食をとりました。肉うどんと小さな混ぜご飯のセットで千円ちょっとでした。場所代ですかね。高いと思いました。昼食ですから、ワンコインで済ませられる店を見つければ良かったです。

電車に乗ったら、近くで二人のお客さんが咳をゴホン、ゴホンとしていまして、すぐその場をやや移動してマスクをしました。マスクで完全に防げないとしても。二人ともマスクをしていませんでした。この季節、マスクは常備、携帯です。
昼頃は、歩いているとダウンコートが邪魔なほどでしたが午後遅くにはさすがに寒さが身に応えてきました。週末は気温が上がるようです。三寒四温の時期になっていくのでしょうか。春遠からじ・・・・です。


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2017年1月24日 (火曜日)

呑兵衛ジジイの強がり

P1010240_2昼時に、スーパーへ買い物に。陽ざしがあるぶん耐えがたい寒さではないです。ここ数日、厳寒の模様です。昨年の今頃、手帳の余白にやはり同じように厳しい寒さであることがメモされていました。その寒さの中、非常勤で大学へ行っていたことが思い出されます。丁度、授業の最後になる時で、次に定期試験がひかえています。気を張って頑張っていました。

買い物の帰り道、杖をつきさらに婦人に付き添われたお爺さんが前を歩いていました。追い越したとき聞こえてきた二人の会話から、その婦人は夫人ではないようでした。私もああなるのかな、いやなりたくない、と。三島由紀夫ではないですが、格好良く?終わりたいという美学があります。そんなのは思いだけで、どうにかなることでもないかもしれませんが。ただ正直、気持ちはそうです。呑兵衛ジジイの強がりです。

ちなみに、さきほどの聞こえてきた会話
「もう一度、ヨーロッパ旅行に行きたいですね」
「そうですか」
「二週間ぐらい」
そのお爺さんは、かつてヨーロッパ旅行へ行ったのでしょう。
もし、私だったら「ウイーンとザルツブルグへ旅行したいです」
が、口先ばかりと言われてしまいそうです(*´ェ`*)

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2017年1月22日 (日曜日)

風邪の季節

P1010238今日は広島で男子の都道府県対抗の駅伝がありました。昨夜、その関連ニュースでTVを見ていましたら、選手たちがマスクをしているのが目につきました。風邪対策などなのでしょう。スタートするまで、厳しい健康管理が求められるのでしょう。

隠居生活というものは、安易に流れやすく気が抜けることが多いです。その気が抜けたところに風邪が入ってくるということもあるのでしょう。しっかり気を引き締めていきたいと思わされます。今のところ、風邪をひいていません。風邪は身体を大事にしなさい、というシグナルを送っているのだと思います。風邪は引いたら早めになおす、そのためには休養が必要なのですが、仕事をしている方は休みをとれないことから難しいです。

公園の梅の木につぼみが出始めていました。冬真っ盛りですが、春の訪れは確実にやってきています。しばらく寒さ対策をして健康管理をしていきたいと思います。


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2017年1月20日 (金曜日)

懐かしの酒缶

Memo0011今日は、暦のうえで「大寒」ですがまさにその通りの天気となっています。この季節で一番寒く感じました。北国の方からすると笑われそうですが。そういう訳で、外出する気にもなりません。もとより用事もありません。夜には雪が少し舞うのでしょうか?

写真の日本酒缶「雪っこ」(岩手、酸仙酒造 冬期限定の白いお酒で、とろりとした濁り酒)が一昨日スーパーにあったので、懐かしさをおぼえ買いました。前に仙台へ行くとき東北新幹線の列車内のワゴンサービスで売っていまして、これを飲み終わりちょっと眠ると仙台駅に到着という成り行きでした。が、新幹線の速い列車が走るようになると仙台駅にだいぶ早く着くようになりコーヒー1杯に変わりました。時代とともに旅行スタイルは変化します。

こう寒いと温泉へ行きたくなります。ふと思い浮かぶのは仙台から出ている仙山線沿線にある作並温泉です。広瀬川そばに露天風呂がありなかなか趣がある旅館を思い出します。昔、無料で温泉に入った記憶がありますが。今は立派な旅館になっています。今頃はきっと雪見風呂ができそうでしょうか。「行きたい、でも行けない?」とつい口ずさんでしまいましたo(*^▽^*)o

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2017年1月19日 (木曜日)

隠居生活の有り様

P1010233お昼過ぎに散歩へ。散歩コースの公園内のトラックを2周ほど歩き、公園外のまわりを歩きました。午後遅くには近くの高校の陸上部と覚しき生徒たちが練習で使いますが、昼過ぎなのでトラックは私のような数名の人がウオーキング、ジョギングをしているだけです。私の場合は、ウオーキング、ジョギングでもなく散歩、ぶらぶら歩きです。徘徊老人に間違えられないように、いちおうアデイダスのキャップ、ウインドブレーカー、トレーニングウエア風の上下を身につけ、ニューバランスのシューズを履いています。ちょっと見ると、どこかのスポーツ競技の監督さんらしきですか、と言ったら大笑いです。今日は風がやや冷たく感じるものの陽ざしがあり歩くぶんには問題ありません。明日が「大寒」とは思えぬ天候です。

隠居生活には散歩は欠かせなくなりつつあります。歩く、食べる、寝るの繰り返しです。その中で文章を書いたり、本を読んだり、音楽を聴いたり、たまに映画を観たりなどが生活となっています。そして、忘れてならないのは酒です。が、いつかは止めるでしょう、ドクターストップがかからなくても時がくればやめるかもしれません。たかが酒です。いや言い過ぎましたかね。でも正直、そう思います。この世のものすべてどうでもよくなるのが老人の最終段階では。人生の最後はケセラセラ、成るようになるしかないです。

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2017年1月18日 (水曜日)

映画「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」を観て

Memo0007――写真は映画館の案内板から――映画「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」を観てきました。ケニア、ナイロビに潜伏するテロリストを米英両国の軍事作戦で、状況の変化により逮捕から殺害へと決断します。が、ナイロビ上空6000mを飛ぶ【空からの目】<無人偵察機ドローン>からの映像には攻撃場所の近くにパン売りの少女が映し出されます。その場所から遠く離れた安全な戦場、会議室で政府関係者と作戦行動を実行する軍人たちの攻撃実行についての葛藤が交錯します。テロリストたちへの攻撃が実行されなければ彼らの自爆テロにより多くの人たちが死にます。しかし、ドローンからミサイル攻撃をすれば少女も死ぬかもしれません。作戦の実行か中止か、モラルの葛藤、正義が問われます。――http://eyesky.jp/映画公式サイト参照――

緊迫した状況が映し出され、あっという間に時間が過ぎてスクリーンの幕が降りました。その後重い心が私を占めていました。映画を観る人、一人一人に問いかけます。あれかこれかの二者択一の問題ではないと思います。あれでもない、これでもない、別の最善の選択、決断とは。単なるサスペンス、現代の戦争映画で終わらず人間としての決断が問われています。


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2017年1月17日 (火曜日)

平凡な日々

隠居爺の一日が終わろうとしています。いつもとことさら違う出来事があるわけでもなく。それを平凡と呼べるのかもしれません。また幸福ともいえるかもしれません。幸福についての考え方は人それぞれでしょう。幸福を何をもって基準とするかによって違います。たとえばパンを食べられることは幸福かもしれません。が、人はそれだけでは生きていくことができない動物であるのではないでしょうか。

もうすぐ日付が変わろうとしています。

P1010173_2

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2017年1月16日 (月曜日)

冬空

P1010227何事もなく時間が流れていきます。いや、夕食後に差し歯の一部が欠けてしまいました、ということがありました。別に歯を食いしばることもないのに、ちょっと歯をくいしばった瞬間でした。もう何十年もたつ差し歯なので劣化?していたかもしれません。幸い歯医者に行くほどでもないように見えますので、そのままにしておくことにしました。歯は大事です、これを教訓に歯に気をつけていきたいです。

ほぼ毎日、起床すると空を眺めてしまいます。空を眺め大袈裟な言い方ですが、今日も生きている、生かされていると感じる自分があります。今朝の冬空を眺めながら、人それぞれ場所によって違う冬空を見ているのだろうと思いをはせます。とりわけ北国、雪国など厳しい寒さの中にいる友人、知人を思いました。

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2017年1月15日 (日曜日)

雪の京都

P1010224雪の京都の街を走る女子駅伝をNHKのTV中継で観ました。すみませんが駅伝よりも雪が舞う京都の風景に興味がありました。金閣寺あたりを走っていましたが、雪の金閣寺は映りませんでした。雪の金閣寺、いいじゃないですか。駅伝中継なのであたりまえですが、数秒でいいですから映してくれたら嬉しかったです。さすがNHKですか?
前に京都の冬を旅したことがありました。それは寒かったです。底冷えをすごく感じました。ただこのような雪の京都には出会っていません。選手は雪の中、どうだったんでしょうか。雪の防寒対策はチームによって様々だったんでしょうが、キャップをかぶって走っている選手がいました。
その冬の京都を訪れたときに乗ったタクシーで、運転手さんから「どうしてこんな寒いときに来ましたか」と言われたことがありました。でも、寒さを除けば観光客が少ない静謐な京都を楽しむことができるのではと思います。

こんな雪の風景を見ながら、西田幾多郎が逍遙、散歩した<哲学の道>を思ったりする一方、豪雪で雪かきをしている方を思います。

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2017年1月14日 (土曜日)

冬真っ只中

P1010214P1010219_2さすがに今日は寒かったです。が、ほっぺたが痛く感じるなどという寒さではありません。散歩は30分ほどで終わりにしました。
公園の中で鳩が盛んに餌をついばんでいました。私がだいぶそばに寄っても飛び立ちません。人に慣れてしまっているのでしょうか?前によく鳩に餌をやる人がいましたが、最近は見なくなりました。公園の掲示板に注意書きがあるわけですが。

明日はもっと朝の冷え込みが厳しいようです。しばらく冬の季節だということを思い知らされるでしょうか。が、春の訪れは確実にやってきます。それまで辛抱しましょう。冬のスポーツを楽しむ人にとっては良い季節です。子供の頃、そり遊びには興じましたが、スキーは覚えないまま東京に出てきました。
しばらく散歩をする程度で、あとは家で静かに春がくるのを待ちましょうか。


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2017年1月13日 (金曜日)

早朝の月

P1010213昨夜は12時前に就寝。そのせいか朝方6時には起床。6時半頃、外を見たら西の方に丸い月が出ていました。思わずカメラにおさめました。が、今ひとつピントが合っていません。やはり8時間ほど睡眠をとらないと午前中、眠くなりました。
昨年は秋まで午前過ぎに就寝することが多かったですが、だんだん冬になり遅くとも零時半あたりには就寝するようになりました。寒さのせいもありますが、時間を忘れてワープロにむかうことが薄れてきたこともあります。

週末は寒波襲来で東京も雪が降るのでしょうか。大学入試のセンター試験がある頃は、ここのところ毎年天候が悪いように思います。だからと試験日程を変えることはできないでしょうね。

今朝の朝日新聞に、「三島、自決9カ月前の肉声 TBSで録音発見」という記事がのっていました。市ヶ谷自衛隊で自決する前の三島の肉声で、自決に至る彼の考えが明らかになるのではと思います。ノーベル文学賞候補にもなった作家である彼が、どうしてあの行動にでたのか、あらためて考えさせられるところがあります。三島の小説はあまり読んでいません。機会があればじっくり読んでみたいと思います。学部時代、なぜか大学の教育学関係の授業で教師が、彼の随筆を読みなさい、と言ったのを記憶しています。その教師、教授は思想上、リベラルな立場でした。


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2017年1月12日 (木曜日)

冬の陽光

P1010206散歩がてらスーパーへ買い物へ。そのスーパーは他のところより卵が安いとのこと。毎朝、ゆで卵を食べます。たまにベーコンエッグです。ちなみに買い物は好きです。消費癖があるとは言いませんが。帰り道、公園を通りましたら、芝生のところで日向ぼっこをしている方がいました。そんな陽気です。が、寒波襲来で大雪に見舞われている北海道などを見ると、こうも場所によって天候が違うかと思わされます。
南極の氷がとけているようですが地中温暖化は進んでいるのでしょう。でも寒波がなくなることはないのでしょうかね。

年開けて、日にちが過ぎていきます。毎日が日曜日の自分の一日も確実に過ぎていきます。具体的に目標に向かっていきたいと思っています。抽象的にではなく具体的に行動をすることの大切さを感じます。そうした意味では、デューイのプラグマチズムは教えられるところがあります。アメリカという国はプラグマチズムの流れにあると見ています。あえて単純に図式化すると個人よりも社会が優先されているように思います。

週末は寒波の影響が大きくなるようです。人それぞれに対策が必要になります。


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2017年1月11日 (水曜日)

花壇に咲いている花々

P1010205散歩で通る公園の中には花壇があります。まわりの風景は冬の枯れ野といったところですが、花壇に咲いている花々はこころを安らがせてくれます。ただ、花の名前が分からないのは残念です。私は植物関係は無知です。

北国は寒そうです。東京は日中北風がない分寒さはそれほどでもないようです。これから、寒波が押し寄せてくるのでしょうか。こんな時期、受験生は健康管理に注意していることでしょう。大学の方も定期試験、そして入試と大変な時になります。そうした仕事から解放されました今、どこか気が緩んでいるようです。まだこの季節、風邪はひいていませんが、要注意です。


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2017年1月10日 (火曜日)

老人の憂鬱

P1010208碧く澄みきった冬空を眺めながら、どこか憂鬱な気分です。キルケゴールやハイデッガーのいう実存的な気分という形而上学的なものではなく、単なる爺の気まぐれな情緒でしょう。老人の一つの特徴でしょうか。それで終わらずに、さきの形而上学的なものに変えていかねばと思います。それをフロイトのいう<昇華>にまでもってくことができれば何かしら創造的な仕事ができるのではと考えたりします。憂鬱を何かを創るエネルギーに代えらればと、理屈の上では考えられます。いずれにしても老いの生き様は、憂鬱とか不安とか人生における負の側面を生きていくということなのでしょう。一方では生きがい感があり、毎日が楽しく忙しく過ごしている老人の生き様は、また一つの生き様です。

ああでもないこうでもないと頭の中が空回りしているときは、自分の今、ここでの課題にむかってすすんでいくことが大事かなと思います。


 

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2017年1月 8日 (日曜日)

不確実、不安定の揺らぎの中で生きていくこと

P1010207新年にあたって、今年の展望についていろいろ言われています。楽観的か悲観的かに分類するだけでは単純すぎるかもしれません。いずれにしても不確実、不安定な年になりそうな気がします。そうした状況では、確実、安定を求めて間違った選択をしてしまうことが恐いです。個人的には断定的にものごとを語る人には注意しています。
人間は確実とか安定に依存したい欲求をもつ動物かもしれません。が、現実は不確実、不安定の揺らぎの中で生きているのが私たちのように思いますが。その揺らぎの中で耐えて生きていくしかありません、と考えています。

今日の東京は曇天の冬空で、午後遅くから雨になりました。せっかくの三連休期間ですが天気には致し方ありません。ただ、明日、成人の日は雨が上がりそうです。私の五〇年ほど前の成人式を思い出します。明日、成人式をむかえる彼らはどんな思いなのでしょうね。希望をもってこれからの人生を歩めますように。


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2017年1月 7日 (土曜日)

書くということ

P1010190


今日から三連休のひとがいるかと思います。<寒の入り>になりましたが、今日は北風もなく寒さはいくらか和らいでいますか。

さて、ワープロで文章を書くことが多いですが、ここのところできるだけ万年筆を使って書くことを心がけていきたいと思わされています。長文の文章を書く以外は。インクはペリカンの万年筆で使うロイヤルブルーです。この色、ブルーは良いです。キーボードを打つのと万年筆で書くのとは自ずと違います。万年筆で書くのは優しい感じがします。
手帳などはボールペンを使用しています。文字を消せるボールペンです。計画などはどうしても変更になることがありますので重宝です。

もう新年も一週間になろうとしていますが、まだまだスローな生活が続いています。今の私の仕事といったら文章を書くだけです。が、締め切りも決めず書く文章であれば、どうしても怠けてしまいます。書かなければならない思いを引き起こし書かなければなりません。ただ何もすることなく生きることは避けなければと思います。もちろん私にできる範囲ですが。結果はどうあれ何か書くという過程が大事です。結果は後でついてくるものですから。書くということは、あらためて自分の思想のようなものがないと駄目だなと思います。このブログも何にも考えなしには書くことができません。ただの日記に過ぎないのにと言われそうですが。頭と手が動くことによって文章は書かれていきます。

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2017年1月 6日 (金曜日)

「準高齢者」

P1010154


さきほど行きつけの店で呑んで帰りましたが、新年初めてということでちょっと飲み過ぎました。日本酒6合です。この爺、まだまだ?
ところで、今朝の新聞を見たら、高齢者は75歳以上、「準高齢者」を学会が提言、とありました。私は準高齢者ですか。勝手にやってください、という心境です。時と共に幼児、児童、少年、青年、中年、老人の定義が変わりますか。

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2017年1月 5日 (木曜日)

遠藤周作の『沈黙』を買いに

P1010200_3

中旬に上映される「沈黙ーサイレンスー」の関係でしょうか、今日、遠藤周作の『沈黙』(新潮文庫)を再読したく買いに行きましたら何冊か積み上げられてありました。もうだいぶ前に読んだ本なので、映画を観る前にもう一度読んでみようと思いました。前回、述べたようにかくれキリシタンの弾圧による苦悩の問題が問われています。その問題は旧約聖書のヨブ記を想起させます。苦悩の状況に追い込まれたヨブについて記されています。苦悩の意味は?ヨブ記の注解書などを読みました。キリスト教神学では神義論という問題になります。精神医学者であるヴィクトール・E・フランクルは、この神義論の代わりに病義論、患者の苦悩の意味の解明を『苦悩の存在論』で述べています。
バッハ「マタイ受難曲」の終わりの方で「エリ・エリ・レマ・サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」と唱います。十字架に磔にされたイエス・キリストの言葉です。CDなどで時折聴いては心動かされるところです。

キリスト教の世界でなくとも今の世界の様々な場所から、<なぜ自分は苦しみ悩まなければいけないのか>と叫ぶ声が聞こえてきます。その答えは。

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2017年1月 3日 (火曜日)

正月三箇日

P5200046今日はUターンが始まりました。明日から仕事始めの方がいます。私も明日から自分の仕事を始めましょう、といっても所詮自己満足の仕事ごっこです。こんな言い方をしたら、怒られるかもしれません。そんなことを言いつつ一方、観たい映画があります。その映画とは、「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」です。内容は重そうです。映画は、あと中旬から遠藤周作『沈黙』をもとにしたマーティン・スコセッシ監督の「沈黙-サイレンス-」を観たいと思っています。江戸時代のかくれキリシタンの弾圧を描いた物語です。舞台は長崎です。「神はなぜ沈黙しているのですか」という重い問いがテーマです。
そのような問いかけはキリスト教にかぎらず、この世の正義、公平などなどにも同様にいえる状況が、今の世界ではないでしょうか。私たちの正義、公平は。

正月、毎晩酒を頂いています。正月用に飲みたい酒を購入。宮城の酒、「日高見」、「愛宕の松」(昨年の酒のコンテストで、純米部門で1位受賞)です。でも酒ソムリエにはなれそうもない私にはいまひとつ味がわかりません。ただ飲み心地はわるくはないです。酒は、私にとっては健康のバロメーターです。いつまで飲めるか、それが私の生死の分かれ目かもしれません。ある偉い先生から、昔、酒を飲む時間はもったいない、その時間を研究に使いなさい、というようなことを言われた記憶があります。ごもっともですが、・・・・・・( ̄Д ̄;;

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2017年1月 1日 (日曜日)

新年のはじまり

P5200044昨夜の紅白歌合戦は、ピコ太郎が興味あったぐらいですか。零時からのBS番組『ゴットファーザー』、かつて映画館で観たのですが、つい四時頃まで観てしまい起床は9時過ぎになりました。眠い目をして雑煮をいただきました。なんとも新年の始まりとしてはいかがなものでしょうか。

前でしたら元旦の新聞にはある期待をもって目をやったものですが、今はまったく手に取ろうともしません。個人的には、すべてではないですが最近の新聞記事は面白くないです。新聞購読が減少していると聞きますが、分かるような気がします。ただ紙の媒体からネットをかいした媒体の変化も要因の一つでしょう。そういえば年賀状も減少しているようです。これも紙媒体から電子メール利用への変化があるのでしょうか。年賀状については、昔から虚礼廃止で不要であると言われていました。

頂いた年賀状で、なかなか会えない人の近況を読みました。その中で高校の教員をしている卒業生の年賀状には昨年四月に異動があったことが書いてありました。思わず異動先の高校の場所を地図で見て、通勤はどうしているかな、と思ったりします。そうした思いをいただいた年賀状に重ねることは得がたいことです。できるだけ長く年賀状は続けていきたいと思わされます。

今年は、政治、経済の混迷?の中でしっかり隠居生活をしていきたいと考えています。隠居生活もだいぶ要領は分かってきました。良い爺というよりは憎たらしい爺をめざしていきます、粋がっていますが元気であればの話ですo(*^▽^*)o

北風もなくおだやかな新年最初の日です。いただいた年賀状の一枚に書いてありました。
「国民一人ひとりが安心して暮らせるよう平和な日本でありたいです」


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