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2017年5月

2017年5月31日 (水曜日)

5月も終わりですか

P5300289 写真は散歩コースの公園の一画です――ピンぼけの写真です――。今の生活で、公園が近いことは嬉しいです。ただ残念なのは市の図書館が歩いて行くには遠いことです。近くに分館のようなものはありますが蔵書数が足りないです。残念なことのもう一つは気に入った飲み屋さんが少ないことです(゚m゚*)

 今日で五月も終わりですか。いよいよしばらく雨模様の日が続くことになります。濡れた傘を閉じて電車に乗って仕事へ行く身でもなければ、雨空を眺めて徒然なるままに日の暮れるのを待つだけです。とは言っても、やはりそれほどの生活はできないでしょうか。晴れ間に散歩、雨なら物書きというところでしょうか。
 ところで、時にブログを後で読み返してみると文章を推敲したくなります。明らかに事実誤認が判明した部分は書き直しています。表現の仕方は気になってもあまり書き直すことはしないようにしています。その時点での文章表現ということで。私は文章は書き終えてから、何度も推敲したくなる傾向があります。完全主義ではないですが。ワープロのおかげで言うならば消しゴムなしで何度も消しては書き直せるのは助かります。文章能力が高い人はそんなことはないのでしょうね。

 他人から見たら、どうでも良いような文章書きをしていても、今はそうした時間が生活の上でなくてはならないものになっています。文章を書くということは精神の鍛錬にもなるのではと思っています。いつまでそうした書くことができるのかなと思います。老人には文章を書くこと、あるいは絵などを描くことは生きがいにつながるのではないでしょうか。百歳を越えて亡くなったある人は小さな手帳によく日記を書いていました。見せてもらったら読みづらい文字で書かれていました。明治生まれでしたから、ワープロには縁がありませんでしたか。

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2017年5月30日 (火曜日)

行き過ぎた春は遠くへ

P1010478 先日、公開中のミュシャ展(国立新美術館六月五日まで)を観に行った人が言ってました、「1時間並んで待たされました。外国の方は並ばずに帰りました」たぶん私も並ばずに帰るでしょう。七十過ぎの爺が1時間も待てません。
 それにしても美術館だけでなく美味しい店に長時間並ぶ風景を見かけます。その店の前に並ぶこともしないでしょう。何時間も並ぶ我慢強さはどこから出てくるのでしょうか?並ぶ人と並ばない、待たない人との見解の相違でしょうか。
 話が違いますが、S.ヴェーユの著書に『神を待ち望む』があります。形而上学的には、人生には待つことが大事だとは考えるのですが。

 午後三時頃、散歩へ。行き過ぎた春の名残を求めて(o^-^o)
春はなく初夏の風景が広がっていました。公園のベンチで私のような老人が涼んでいるような光景がありました。できるだけ日陰を歩き花々の写真などを撮りながら散歩をしました。これからは、夕方近くに散歩した方が良さそうです。朝は身体の負担がありそうで止めています。というより遅起きですか。
 帰宅後、四時頃に缶ビールをあけました。仕事をされている方にはごめんなさい。今日も一日が暮れていきます。残りの時間を意味ある充実したものにしたいですが。

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2017年5月29日 (月曜日)

老いて失われていくもの

P1010479 メガネ屋さんへ。老いて感じることの一つは視力の低下です。致し方のないことなので、何とかメガネ屋さんで見え具合が良いメガネを作っていただいています。メガネでだましだまして生きていくほかありません。
 いずれにしても老いていくことは、いろいろなものが失われていくことです。若いときには想像ができませんでしたが。でも、それを悲しむこともないと思います。墓に持って行く必要もありませんから(o^-^o) ただ生きていく中で、あるものを失うことによって不便さを感じることは出てくるでしょうが。

 五月晴れの風もほどよくすっきりした天候でしたが、私には気温以上に暑く感じました。メガネ屋さんの後で映画「光」を観て帰る予定でしたが、今日は取りやめました。微妙に暑さのせいで元気が失せていきましたので。この後、「ローマ法王になる日まで」、アルゼンチン、1985年に終わったビデラ軍事政権下で神父であった現在のローマ法王フランシスコの半生を描いた映画が六月から公開されます。是非、観たいと思います。ちなみに軍事政権下では、カトリックの聖職者の一部は反政府活動ということで命を奪われることになりました。

 隠居生活は失われていくものも多いですが、自由な時間の中で良質な映画などに出会うことができるのは感謝です。

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2017年5月28日 (日曜日)

花々からの癒やし

P1010477 午後、近くの公園に散歩へ。花々が咲いています。コンパクトデジカメラで撮りました。ミラーレスの一眼レフカメラはあるのですが、おおむね旅行に出たときにしか使っていません。最近はスマホのカメラの性能が良くなり、コンパクトデジタルカメラの売れ行きが減っているそうです。私はガラケーなので致し方ありません。やはりスマホを持つべきか考えているところです。
 
 花を見ているとこころが癒やされます。世の中、人間同士の争いを見るにつけ。人間の歴史は、一つには権力を巡る争いと見ることができます。人間は権力を手に入れると失いたくありません。自分の権力を守るために一瞬たりともこころが休むことができない心境でしょうか。権力を握ることとか頂点に立つことは、人間が生きるための一つの闘いのようなものです。が、ひとたび権力を握る、頂点に立つと次はいかにその地位や状況を維持するかが闘いになります。権力から離れる、頂点から降りることの不安や怖さがあるのでしょう。 
 
 心理学者アドラーは、そうした人間について解明したと言われます。フランクルによれば、彼は権力への意志から人間存在を説明したと見られます。意志が権力へ向けられることは、自分の劣等感の裏返しかもしれません。権力からは遠く離れ、頂点に立つこともできない凡俗な人間の人生とは関係ない世界の話のようにも思えますが、誰しも機会があれば権力や頂点にこだわる人生を歩んでいる、いたことを否定できないのではないでしょうか。アドラーが言うように、人間は権力への意志に向けられている側面をもっていると思います。権力も頂点も善い事に関わるならば、否定されるべきではありません。

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2017年5月27日 (土曜日)

5月最後の週末

P1010460 晴れてはいるが、五月晴れとはいかない空模様です。
 先日から読み始めた芭蕉のおくのほそ道の本によれば、5月半ばに江戸を旅立ち、5月終わりになってもまだみちのくの入り口である白河の関に入っていません。これから栃木(下野)を過ぎてみちのく、福島、宮城と通り過ぎていきます。現世と別れを覚悟で旅立った芭蕉の姿にこころ響くものがあります。
 私もある意味で人生という旅を続けていると言うことができます。毎日が楽しく過ぎていくとは限りません。今日ははっきりしない木漏れ日の下をとぼとぼ歩いているような一日でした。こういう日もあります。明日は気分爽快に過ごせるように頑張りましょう。楽しい旅かどうかは天候も影響しますが、何よりも自分の生き方、在り方によるのではないでしょうか。

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2017年5月25日 (木曜日)

問題の本質への問い

P1010449_2
 気温は24度ぐらい、曇り空です。梅雨の予兆を思わせる天気です。しかし、東京はまだ梅雨にはやや遠いでしょうか。

 新聞記事、週刊誌記事、TV番組、SNSを始めとしたネットの記事などが、まるで洪水のように流れていきます。そんな現象に目を奪われて表面だけを見ていると問題の本質を見失いがちです。現象へむかっていくことは必要ですが、問題の本質、何であるか、を考えることも忘れてはいけないと思わされます。人によっては仕事の忙しさからそんなことを考える時間はないと言われるかもしれませんが。

 ところで、今週まで新宿の映画館で、<鎌倉アカデミア>の映画が上映されています。観に行きたい思いはあるのですが。

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2017年5月24日 (水曜日)

隠居生活の良いことは、こうした非経済的?問いに夢中になれることですか

P1010456 遅くに寝て遅くに起き、遅い朝食を。昼食はとらなくても良いようなものですが、つい食欲にまけて3時にスーパーで買ってきた6貫入りの握り寿司をいただきました。食欲があることは悪いことではないでしょうが、私の場合は食べ過ぎの傾きがあるので要注意です。
 生きる意味がなくても、食べて寝て終わりの人生が。生きる意味がないからといって生きることができないことはありません。一人一人の人生の意味は自己意識をこえて与えられているのだと思います。その与えられている意味を見つけることが求められている、とフランクルは言っているように理解しています。時に自分の人生の意味を探しても、答えがなくても与えられているのだと考えれば気も楽になります。いつかは答えが見つかるでしょう。とにかく目前の生活を生きていくことが大事です。
 隠居生活の良いことは、こうした非経済的?問いに夢中になれることですか。
午後も遅くなりましたが、今日の残りの時間にどれだけ思索と物書きに没頭できるのでしょう。

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2017年5月23日 (火曜日)

生きる意志の根拠

P1010450 かつてウィーン大学の精神医学者であったヴィクト―ル・E・フランクルは、快楽への意志、権力への意志、そして自らの考え、意味への意志について述べた。 快楽への意志はフロイト、権力への意志はアドラーから説明した。精神医学、臨床心理学における第3のウィーン学派として、フランクルは、現代人について生きる意味への欲求不満、実存的不満から説明をした。が、彼が亡くなった今、われわれは生きる意味で悩んでいるのでしょうか?生きる意味がなくても生きざるをえない状況におかれているのでは?なぜ、自分は生きているのか、というような形而上的問いは成立しない、今はとにかく生きていかねばならない生活、経済が問題になっているのでしょうか。
 生きる意味とは何であるか、について問うことは、もう時代錯誤ですか。生きる意味への意志の次は、何への意志でしょうか?生きる意味への闘いもない人生の次は?この問いに対する答えが見つかったら、21世の大思想家になれるかもしれません。

 夕方、散歩の後で店により生ビール(中)1杯、珍しく樽ハイ(アサヒビール会社のウオッカをベースにしたもの)2杯、冷酒1合飲んで帰宅。どうも樽ハイが重いです。ウオッカは強いですから、注意しなければ。

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2017年5月22日 (月曜日)

王妃の涙の訳

P1010454 五月晴れ、でもすっきり晴れた空でもないように見えます。青空が幽かに見えるようです。時折、風が吹いています。午後、ボケ―と窓から空を眺めていたら眠くなりました。典型的な隠居生活の光景です。

 昨日、BS3で世界の王妃物語という番組を観ていましたら、2002年アルゼンチンから嫁いだオランダ王妃の結婚式でアルゼンチンタンゴ、ピアソラの「アディオス・ニーノ(お父さん、さようなら<ニーノはピアソラの父の愛称>)」がもの悲しいバンドネオンの演奏で始まり、しばらくして王妃の眼から涙が落ち始めました。タンゴ曲への熱き思いもあるでしょうが、その涙の背景を知りました。王妃の父は、アルゼンチンの弾圧、抑圧をおこなったビデラ将軍政権下の政府高官でした。ただ将軍の弾圧などに荷担はしていなかったようですが、弾圧からオランダに亡命したアルゼンチンの人々の感情はちがいました。そうした理由もあってオランダ国内では、結婚は難航します。が、父との離別などを条件に結婚しました。他にもいろいろあったでしょうが。結婚式には父は参列できませんでした。王妃の涙の背景です。なお私が調べた範囲です。
 一方、ピアソラはタンゴダンスショーの楽団でバンドネオンの伴奏をしていました。父の死が知らされたとき巡業地のプエルトリコからアルゼンチンの故郷へ旅費もなく帰ることができませんでした。そこで、父との別れの失意の中、「アディオス・ニーノ」を作曲します。
 この曲は、動画(TV画面にでてきた結婚式での演奏)で時々聴いています。ピアソラの「リベルタンゴ」と並んで。

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呑兵衛爺の一日

P1010453 午前零時過ぎました。生存確認のため書きますo(*^▽^*) 多磨駅前(中央線武蔵境駅から乗り換えて西武多摩川線の2つめの駅)の居酒屋で友人と飲みました。いつもは立川で飲んでいるのですが。帰りのこともありますので飲み過ぎないようにしました。帰りの中央線下りの電車は混みますから。が、日曜日でそれほど混でいませんでした。

 予報通り日中は気温は高かったです。が、夕方になって飲みに出かけた呑兵衛爺には感じることもなく。書きたいことはありますがこの辺で。やや飲み疲れです。

 ――写真は先日、散歩途中で出会い思わず撮りました。

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2017年5月20日 (土曜日)

「旅する人間」

P1010461 だいぶ気温が上がったようです。しかし、今日は日がな一日外出しませんで、それほど暑さは感じませんでした。明日は30度ぐらいになるのでしょうか。どうも気温の上下差があります。着るものが春物と夏物との間で綱引きをしています。

 昨日、私が飲んでいた店でバーボンウイスキーの<ホワイトホース>をロックでグイグイ飲んでいるお客がいました。強いなと思いました。もっとも私もチビリチビリ酒を6合飲みましたが。今夜は休肝日にしました。酒を1合ぐらい飲むだけでしたら休肝日も必要ないでしょうか。

 先日、書店で買いました芭蕉に関する本(矢島渚男『新解釈「おくのほそ道 隠されていた芭蕉のこころ』2017年4月角川書店)を読み出しています。彼は45歳のときにみちのくへ旅立ち、その5年後に亡くなります。俳句は分かりませんが、彼の旅の人生から生き方なりを知ることができたらと思っています。
 人間はこの世における旅人という存在である、という考えに共感するところがあります。哲学者マルセルに人間は旅人という存在に関する書(マルセル著作集〈第4〉『旅する人間』 (1968年) 春秋社)があります。彼はカトリック思想の立場ですか.昔、読んだ憶えがあります。

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2017年5月19日 (金曜日)

呑んで帰って思うこと

P1010455  馴染みの店で飲んで帰ってきました。福島の酒で「大七」を飲みました。飲みやすく?つい6合呑んでしまいました。新幹線で仙台に向かうとき車窓から「大七」の看板を見ていました。
 いかにも酒を飲んで浮き世離れの生活をしているわけではありません。ヒマですから世の中の流れを見ています。内外のニュースを見ながら考えます。それにしても政治家の中にはどうしようもない人がいます。私が政治家になっていたらと思わざるをえません(大笑いですか)。意外と合っていたかもしれません。今になったらそう思うわけで、若いときには思うわけはありません。若いときは学者を目指していました(◎´∀`)ノ

 この国はどこにむかっているのでしょうね、呑兵衛爺は心配です。

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2017年5月18日 (木曜日)

始めがあって終わりがある

P1010435 起床後、ぼーとしていましたら思い浮かびました。始まりがあれば必ず終わりがあることを。閑人の考えるところはそんなところです。人は誕生の始まりの瞬間に死という終わりがある運命にあります。この当たり前のことが、年老いて再認識させられます。それを不条理だと人は考えますか。おおかたの人は一生懸命に生きることで不条理を否定しようとしているのかもしれません。人の一生は与えられたものと考えれば、不条理ではないでしょう。自分に人生を与えられたことに感謝こそすれ。しかし、自分の人生が与えられたことに反抗すれば不条理でしょう。子供の頃、母に何故、自分を産んだのかというようなことを言った覚えがあります。今思えば、母に対して何てことを言ったのだろうと、後悔します。ただ、誰にもこうした経験があるのではないでしょうか。人生とは……、だんだん生きていく中で分かってくるものです。

 人は命与えられ、いつかその命が奪われるということに尽きます。

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2017年5月17日 (水曜日)

書店に寄って

P1010440 今日もすっきりしない天気。薄めの上着をきて外出。用事が済んだ後、近くにある池袋ジュンク堂書店へ。興味があった2冊を購入、やはり紙の本の感触が良いです。出版界は本が売れなくて大変なようですが、紙の本が消えることはないと思います。場合によっては電子書籍は便利ですが。時にiPadで小説を読むことがあります。二つの異なる媒体が両立していくことができたらと思います。
 2冊以外に、ふと哲学者アーレントの書物を思い出しましたが、止めました。「悪の凡庸さ」について、知りたいと思ったからです。哲学書は難しいですが読みたいですね。哲学は思考することを求めてきます。デカルトの言うように、我考える故に、我在り(コギト、エルゴ スム)。

 街中の混雑した人混みの中で、疲れた自分に気づきました。リルケの『マルテの手記』の世界です。

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2017年5月16日 (火曜日)

芭蕉、奥の細道へ旅立ちの日

P1010420_2 江戸の俳人、芭蕉は今日、江戸の千住を立ちみちのくへ旅立ちましたことを知りました。芭蕉は関心ありますが不勉強です。松島や山寺、最上川、そして東北から北陸へ向かいます。
 これから梅雨の季節になりますが、旅するには良い季節かもしれません。寒からず暑からず、新緑につつまれた風景の中でこころも洗われる気がします。歩きながら目にする風景を俳句に詠んでいく旅程は、どんな思いだったのでしょうか。今はたとえば東北新幹線「はやぶさ」に乗れば90分ほどで仙台着、松島までは仙石線であっという間に到着です。ゆっくり風景を楽しむ旅は、今となっては贅沢?になりましたか。
 ちなみに「はやぶさ」などは速いのですが(停車駅が少ない)、窓が狭くなり流れゆく外の景色が見えにくくなったように思います、特に窓側でない席の場合は。ですから、窓側の席がとれない時は読書(雑誌など)、ワゴン車のコーヒーを飲むか、iPodに入れてある音楽を聴く、結論を言えば居眠りです。私の場合は仙台までですので、90分は速いです。この90分、大学の授業の1コマ分です。
 話のついでですが、その90分を少し長くして休日授業をなくそうとする大学が出てきたようです。最近はアクテイブ・ラーニングとやらで学生主体の討論などの授業方法を取り入れてきていますが、長くした授業時間をそうした方法で工夫をしていくことを考えてもいるようです。伸ばした時間を講義ではなく討論などに使おうということでしょう。

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2017年5月15日 (月曜日)

時は過ぎれど、追いつかぬ

P1010428_3
 はっきりしない天気でした。晴れているのか曇っているのか、暑いのか寒いのか、どちらにもとれる天気です。私のこころもそんな時があります。
 5月も半ばになりました。時間の流れにまきこまれて生活も過ぎていきます。いつも充実した時間はなかなか難しいです。時間の流れに「実存的欲求不満」のようなものを覚えさせられます。歳はとっても、何かを実現させていこうとする欲求は消えません。が、その実現が思うようにいかないと、時間の流れをことさら意識するのでしょうか。

 今夜はシャンプーをした後、すぐにヘアドライヤーで乾かしました。先日、風邪っぽくなった原因は髪をよく乾かさないで寝てしまったことにもありました。ところで、今使っているドライヤーはナノケアができ、メーカーは「速乾、しかも髪質改善。ヘアエステするドライヤー」とうたっています。確かに髪の保湿効果があるように感じています。初めはナノとは何ナノ?、と思っていました(やや面白いですか、授業ではこの程度のギャグを時々発しまして、ある学生からはえらくひんしゅくをかいました)。もうそんなギャグを言う機会もなくなりました。酒飲みの馴染みの店でやれば、困った爺、と言われるのがオチです。

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2017年5月13日 (土曜日)

梅雨寒のような体感温度

P1010423 私の体感温度では、まるで梅雨寒を思わせる天気です。昨日の気温から一変しました。沖縄の方は梅雨入りのようです。関東の方はまだ先でしょう。
 昨夜、風呂上がり後、不注意でしばらく薄着のままいたからでしょうか、今朝から風邪っぽいです。今夜一晩ゆっくり眠れば大丈夫でしょう。

 目標を見失うと、暗く思い気分におそわれます。自分のたてた目標に向かって、具体的に行動していくことが大事だと思わされています。若いときであれば、良し悪しは別にして目標がなくても前に突き進む力を持っています。しかし、年老いると、そのような力はでてきません。老いると精神力で身体力を補う必要があります。この頃は立ち上がるとき、「ヨイショ!」と声を思わず出してしまうこおがあります。身体の弱体化を声かけで補おうとしているのだと思います。声かけは精神力からきているのでしょう。

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2017年5月11日 (木曜日)

新緑が濃くなる日々

P1010429  先日、 散歩していて見つけた花一輪、思わず写真を撮りました。散歩の楽しみです。今日は散歩に出かけませんでした。これといって理由はありません。要するに怠けですか。

 少しばかり物書きして、後はクラシック音楽を聴いて一日が終わりです。隠居生活ゆえこんなところでしょうか?クラシックはモーツアルトの交響曲39,40番です。彼の音楽について書くことは能力をこえていますが、聴いているとこころが充たされるように思います。流れていく曲に軽快さと同時に悲しみを覚えます。月並みな言い方ですか。悲しみを表現しようとしたら、こうなるのかなと思います。表現力とは、考えてみれば容易なことではないです。悲しみを悲しみそのものから表現するのではなく、逆に楽しさとか喜びから表現できたらより一層人のこころに入り込めるのでしょうか。

 明日も28度ぐらいの気温になりそうです。そろそろ半袖で過ごしていくようになるでしょうか?
新緑がだんだん濃くなっていきます。その様を見ていると生命力が与えられるのを感じます。だいぶ前に北軽井沢にある別荘に行くことになりました。すでに主(あるじ)の先生がいる別荘には、仲間たちが到着していました。私は遅れて教えられたとおりにバスを降りてから、別荘までのj道を電柱の数を数えながら進みました。その時は雨上がりで周りの森の木立の緑がひときわ美しく映えていました。言われたとおり電柱数十本目で別荘にたどり着きました。その別荘には、年二回も伺った時がありました。今となっては懐かしい思い出です。もう先生は亡くなっています。

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2017年5月10日 (水曜日)

夜も更けて

P1010430 日付が変わりました。トム・クルーズ主演の映画をBSTVで観ていたら、こんな時間になりました。仕事もないので、つい時間を忘れました。映画などはヒマ老人には時間つぶしに最適です。映画フアンには怒られるかもしれませんが。近頃は、TVはよほど興味や関心をもつ番組でなければ観ないことにはしています。
 映画と言えば、上映中の『美女と野獣』を観ようと映画館に行ったら、満員状態でした、とある人が言っていました。私は念のためネットで混雑状況を確かめてから行くようにしています。映画館によっては会員になるとネットで座席予約ができます。便利です。

 気温の上下差が微妙です。明後日は29度の予報が出ています。このような天候時には風邪に注意です。前にこの時期に風邪をひき長引きました。冬とちがって長くなってしまいます。特に大型連休で出かけたりした方は、疲れが残っているかもしれませんので要注意です。

 これから物書きをしたいところですが、どうでしょうか。何ものにも邪魔されない時間ですから。周りは夜の静けさだけです。沈黙の世界です。考えながら書くのには適した時なのですが、今日の午前中、遅くに起きることになります。悩ましい問題です。

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2017年5月 8日 (月曜日)

連休後、初日

P1010422 連休後の初日、五月晴れ、気温は29度まであがりました。身体、心が切り替わらず疲れて一日を終えた人もいるでしょうか。ささやかな休み?があって、また仕事の連続、これが人生ですと思うところです。省みれば、人生はこうした生活の繰り返しです。そして、その先にあるのが毎日が休みの日々です。
 川の流れの中で消えゆく水泡を思い出し、それが人生のように思えてきます、といったらニヒルですか。若い頃は、ニヒルな気分に浸って喜んでいました。若いときのニヒルと年老いてからのニヒルは違います。

 マンションのエレベーターで一緒になった小学生の男子、高学年でしょうか、「今日は疲れた?」と声をかけたら、「休み中に見たい映画を見ることができなくて」と言いました。先にエレベーターの前で待っていた彼は、「こんにちわ」と声をかけてくれました。私を先にエレベーターに、彼は後で乗り込んできました。家庭教育がしっかりしているのだろうと思いました。嬉しかったです。もちろん、私が先に降りることになったのですが、その際、「さようなら」と。
 この国は、こうした子供たちがいる限り、大丈夫ですよね。


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2017年5月 7日 (日曜日)

老いていくとは

P1010399 七十代後半の歳になる人へ電話しました。私が言ったことが伝わらず「何でしたか?」と聞き返してきます。今、言ったばかりでしょうと失礼ながら嫌になりました。認知症でもないと思うのですが、これが年寄りかと考えたりしました。自分もいつかそうなるのでしょうか?

 老いていくことは、今まで普通にできていたことが難しくなっていくことなのでしょう。その難しさに合わせて何とか自力で生きていくしかありません。嘆くことなく今の時を楽しく生きていくことができればいいなと考えています。あるがままに自分を受け入れて生きていきましょう。老人にしかできないこともあるはずです。

 明日から連休明けの仕事、授業が始まります。私もそのような場におかれていると思って、頭を切り替えていきたいと思います。混んでいた街中も空いてくるでしょう。散策、逍遙に出かけましょう。

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2017年5月 6日 (土曜日)

飲んで帰って

P1010393 連休も明日でお終いですか。また仕事が始まることには、人それぞれの思いがあるのでしょう。また仕事ができるという喜びがあると思う人がいるでしょう。逆にまた仕事が始まり嫌だと思う人もいるでしょう。それを5月病とか適応障害などということはないでしょう。人それぞれの生き方、在り方があるということだけです。嫌だと思っていても、時の流れでそうでなくなるのではないでしょうか。

 私には連休もなにも関係ありません。毎日が休みですから。今日は、400字を4枚ほど書きました。書いたからどうなることなど意識しないようにしています。締め切りに追われるベストセラー作家ではありませんから。書くことが生きることの一部になっているということだけです。たとえ内容がどうあれ。ただ結果は出したいと思います。

 さきほど馴染みの店で、純米酒を冷やで4合呑んで帰宅。結構、ブログは何とか書いています。無理に書くこともないのに。飲んだら書くな、ということではないですが。(◎´∀`)ノ

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2017年5月 5日 (金曜日)

「こどもの日」断想

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 連休中は遠出の計画はなしということで、今日もヒマ、ただ時間が過ぎています。物書きをするという気もおこらず。クラシック音楽を聴いているだけです。この平凡な、退屈な時間もいつかよかったと思うこともあるのでしょうか。

 今日は「こどもの日」。かつてスウェーデンのE.ケイは『児童の世紀』を著し、20世紀は児童の世紀、従来の教師中心から児童中心の教育を主張しました。今の学校教育はどうなんでしょうか。
 私の子供時代の教育は、戦後教育の始まりです。田舎でしたしのんびりした教育でした。教師の中には、悪さをする子供にビンタをくらわせる教師がおり、戦前の軍国主義教育が未だ残っているようなところがありました。私は小学高学年の時、真冬でしたが教師にぞうきんで顔をふかれたことがありました。そのぞうきんは教室の床板の掃除で使っていた物で、決してきれいとはいえない物です。時に、私は教師の言うことをきかなかったからです。

 子供と関わることは楽しいです。大学教師より小学校の教師にむいていたかもしれません。前に私にすごくなついてくる子供がいる一方、白髪が目立つようになった私に、「しらが爺!」と声をかけてくる子供がいました。無邪気というか、時に怒りたくなる子供がいます。J-J.ルソー(『エミール』)が言うように、私たち大人はかつてみんな子供でした、子供の視点で子供を見ましょうですか。

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2017年5月 4日 (木曜日)

無題

 2020年開催の東京オリンピックに向けて、ホテルなどの宿泊施設の建設が進んでいるようです。また、ここのところ外国からの観光客も増えているようですので建設に拍車をかけているのでしょう。その影響か、とりわけ週末などは宿泊の予約がとれない状況にあるように思います。が、2020年後はどうなるか、という問題、供給過剰が指摘されています。ここはホテル経営者の先を見据えた判断になるのでしょう。
 いずれにしても、オリンピック後、「祭りの後の静けさ……」の状況になり、経済問題のみならず、戦前の<冬の時代>の社会の様相になることは困ります。気づいたときは遅かったではすまされません。あと2020年まで3年間、この国はこの先どこへ向かって行くのでしょうか。
 ところで、今、上野の東京都美術館で「バベルの塔」展が開かれています。<バベルの塔>とは旧約聖書に出てくる話です。人間の神を畏れぬ欲望­――どこまでも高い、天までもとどくような塔を建設しようとした――に対して、神は建設を中止させてしまいます。無神論者といえども考えさせられる話ですか。今の時代を見ていると、バベルの塔の時代とは違うという見方もあるでしょうが、考えさせられます。
 2020年後、祭りの後も寂しさが残るのではなく賑やかな社会であることを思います。

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2017年5月 3日 (水曜日)

連休後半スタート

P1010400 近くに出かけ夕方は飲んで帰ろうかと思っていましたが止めました。ニュースによれば、新幹線、高速道路、そして都内の行楽地もだいぶ人が出て混雑していたようです。夕方近く散歩で今日は終了といったところです。

 散歩をしていると、次々と花が咲いているのを見ます。前にも書いたように、名前が分からない花が多いのが残念です。そうした風景はこころを和ませてくれ、日常の煩わしさを忘れさせてくれます。隠居生活をしていても煩わしきことはなくなりません。周りに必要最小限は同調しても、主体的に生きていきたいと思います。が、言うことは簡単ですが、行動にうつすとなると難しいです。


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2017年5月 2日 (火曜日)

五月晴れ

P1010379 五月晴れの一日でした。夜になったら気温が下がり、空には三日月が見えました。昼夜の気温差があります。
 今朝は遅めの朝食をゆっくりとりました。夕方近く、いつもの散歩を。晩酌も美味しく飲めるだろうと。せめて散歩でもしないと、食べて寝てお終いという日課になります。いつかそういう生活にならざるをえなくなるとしても、今はまだ何かを為さなければならないと思います。とりあえず物書きをしていますが、書き続けることの難しさを知らされています。文章能力もさることながら、もともと怠けやすいので。

 明日からまた連休、どこか近くへ足を伸ばして酒でも飲んで帰るかなと思ったりします。市場は休みになるので、新鮮な魚は期待できません。ただ冷凍技術が進んでいますから。が、夕方に冷凍カツオの刺身を買ってきて食べましたが、はっきり言ってまずかったです。

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