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2017年6月

2017年6月30日 (金曜日)

6月も終わり

P1010544 今日で6月も終わり。時には時間の流れにほっとするところがあります。時間が止まったままであったら、どうなるでしょうかと考えます。また川の流れのような時間の流れであれば良いのですが、私の体験する時間はそうでない時があります。時間の体験の仕方は人それぞれです。
 午後早く人が少ない公園を散歩してきました。この時期、公園の花の主人公はアジサイです。鎌倉のアジサイを観に行きたいと思っていましたが、時間はあれど行動力がともないません。だいぶ昔、明月院のアジサイを観てから行っていません。その後で北鎌倉駅近くの「鉢の木」という名前の店で食事したのを覚えています。

 今、夕方の時間ですが陽はまだ落ちてくれません、青空が広がってきました。明日は予報では曇りですがどうなるのでしょうか?どこか遠くへ行きたい心境です。あてどもない旅に出て、車窓から景色をぼーと眺めている、そんな時間も良いです。思いと現実はなかなか一致してくれません。

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2017年6月29日 (木曜日)

散歩から遠ざかりそうな時節

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 今のところ今年の梅雨は、雨がしとしと降り続く毎日でありません。今日も青空が雲間から見え始めました。湿度は高く蒸し暑さは梅雨時を思わせます。だんだん散歩へ行く意欲が失せていきそうです。だから、朝早く起きて散歩と考えているのですが、相変わらず八時間以上眠り遅起きです。起床して散歩に行くぞ!という意志が弱いです。ある意味で、眠りの衝動に流されています。その衝動をおさえて散歩へ行こうとする精神の反抗力が必要です。その力はどこから出てくるのか、昨日もそのようなことを書きました。自律をこえて自分の意志を向けさせるものとは何か?生きる意味への問いそのものです。

 精神の抵抗力は、現実に対してNO!と言うことでもありますか。が、おうおうにして現実に流されて生きやすいです。NO!と抵抗する力は良心からの呼び声でもあります。その呼び声をおさえこむ、聞こうとしないのがまた現実です。言い換えればまさに本質存在(かく在るべき存在)と実存(今ーここに在る存在)との断絶とも言えます。その断絶を全くなくすことはできないとしても少なくしていくのが人の道のように思います。

 週末から、真夏日のような天気になりそうです。水の補給に気をつけてひからびることがないようにしたいと思います。

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2017年6月28日 (水曜日)

精神の持続力

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 昼過ぎには雨が上がりました。午後遅く、散歩に出かけました。蒸し暑さを体感しました。週末は予報では32,3度まで気温が上がる、もう真夏日ですか。体調管理が大事になってきます。

 ところで誰しも空虚感を経験するかと思います。思うに虚脱感とは違うのでしょう。虚脱感は何か力が全身からぬけていくような感じでしょうか。それに対して空虚感は全身の力が働こうとしない感じ。似たような感情ではあります。今日の私は虚脱感にとらわれました。でも、散歩をして帰ってきたら消えているようでした。散歩の効用ですか?
 今、将棋で10代半ばの藤井聡太四段が、26日まで29連勝をしています。すごいことのようです。一戦勝つごとに次の試合が待っています。彼には試合後虚脱感というような感情はないのでしょうか。将棋に対する知的戦略もさることながら、彼は精神というようなものの持続力を強くもっているのでしょう。彼には虚脱感ではなく充実感、充足感があるのみなのでしょう。

 精神の持続力、そして忍耐力は、事を成し遂げていくために不可欠のように思います。そうした力はどこからでてくるのでしょうか。一概には言えませんが、子供にも若い人にも見られますが特に老人はそうした力が弱くなっっていく存在のように思えます。身体の弱さは精神に影響を少なからず与えますから。そこで、身体の弱さをカバーする内面の精神力、意志力、意志の強さが求められます。

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2017年6月27日 (火曜日)

半月ぶりの休肝日

P1010508 外出から帰ると、さすがに汗が身体ににじんでいます。じっとして部屋にいるぶんには窓から風が入ってきて暑さは感じませんが。そうした天気の影響を歳をとるほどに感じます。
 市民税の支払いをするために散歩がてら近くのコンビニまで行きました。税金等は口座からの引き落としでなく、こうした支払いをしています。面倒と思うこともありますが、ヒマな老人には問題ありません。固定資産税、国民健康保険税など年間何回支払いに行ってるでしょうか。

 今夜は半月ぶりに休肝日でした。前に書いたように身体が酒を受け付けなくなったら毎日が休肝日です。数日前に16度の純米吟醸酒原酒を買い呑みました。原酒16度は重く後に残りました。14,15度の淡麗な酒が私は好きです。酒は<百薬の長>と言われます。ただし、ほどほどに呑めばですが。いつまで呑めるか分かりませんが、ほどほどにということを肝に銘じて呑んでいきましょうo(*^▽^*)o。

 先日、「カトリック新聞オンライン」で、フイリピンで就任前の大司教がぼろぼろの服装で変装して教区の貧しい人たちを見て回った、ということが書かれていました。なるほどと思いながら読みました。きっと現場、現実をみすえて教会の働きを進めていくのでしょう。
 まずは現場、現実を知らずにものごとは進められないということですか。

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2017年6月26日 (月曜日)

平々凡々の一日

P1010426 今日は休肝日にする予定でしたが、夕方、散歩から帰宅するや白ワインを一杯飲みました。グラスを手に、あのお笑い芸人のように「ルネッサンス!!」と小さな声で叫んで。缶ビールは冷蔵庫になしということで。夕方近くの散歩は酒の呼び水ですか。水を飲めば済むことでもありますが、吞兵衛の性(さが)です。

 散歩コースには、いつもの人たちが歩いていました。六十歳を過ぎた方たちのように見えます。時に老人が公園のベンチに腰掛けて周りの景色をじっと見ている光景を目にします。公園で出会う人たちの人生、ひとりひとり違っているのでしょう。
 
 特にこれといったこともない平々凡々の一日が終わろうとしています。それを幸せと思うか、そうでないと思うかは人それぞれです。

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2017年6月25日 (日曜日)

考え書くということ

P6180292 毎日が日曜日の爺、でも今日は日曜日だとまだ分かっています(o^-^o)。日曜日というとなぜかこころがうきうきします。午後、書き留めてある文章を推敲しました。読めば読むほど書き直したくなります。昔、締め切りがある論文をこれほどまでに推敲したでしょうか?ただ今書いている文章は論文ではありません。

 文章能力はないにしても、文章を書くときは時間を忘れ夢中になっています。隠居生活、ことさら趣味もないですがこうして文章を書いていることに充実感を覚えます。その文章はどうあれ。書くということは考えることがともないます。考える故に書くですか。デカルトやパスカルにまつまでもなく、人間には考えることが大事だと思います。さらにそれを文章にすること、それが人間の本質特徴といえませんか。

 今週で6月も終わりですか、時間は容赦なく過ぎていきます。7月始めは、入谷の朝顔市、次いで浅草のほおずき市があります。出かけたいものです。江戸情緒を味わいたく。

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2017年6月24日 (土曜日)

なるべくしてなる人

P6180298 ガソリンスタンドで給油。この所ロングドライブはないので燃費が悪いです。町中の買い物程度で乗っているので致し方ありません。場所によっては車がないと不便です。地方へ行くと車の必要を痛感させられます。車社会が批判されますが、生活する場所によって意見が分かれるところです。

 今夜TVでプロ野球ナイター中継をしています。巨人対中日です。高橋監督を見ていると、いろいろ考えます。無理矢理監督にさせられたのかなと思ったりしています。もうやめたいという心境ではと勝手に思ったりします。派手なパフォーマンスをする監督には辟易します。高橋監督についてはいろいろ見方があれど私は好感をもっています。別に巨人ファンではありません、というよりひいきの球団はありません。昔は、広岡監督の球団を応援していました。彼が巨人の監督になりどんな采配をするか楽しみにしていたのですが。
 
 思えば様々な場でこの人にこそトップでやってもらいたいと考えますが、現実はなかなかそういかないです。なぜなんでしょうね?この人にこそでない人がなってしまうと……。悲劇にも喜劇にも。

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2017年6月23日 (金曜日)

「六月病」

P1010474 今朝はいつもよりやや早めの起床、その影響か午前中は身体がはっきりしませんでした。年寄りは早起きといいますが、私はいつまでも寝ていられます。

 私の学生時代に「五月病」(といっても病気ではなく)が問題になりました。新入生が五月になると新しい環境の適応問題でストレスが生じ、五月の連休後に大学の授業を休むというようなことです。私は田舎からでてきて、連休の時は勇んで帰省しました。ホームシックですか。大学に戻ってからは授業に出ていました。適応過剰も適応過小もストレスの原因にはなるのでしょう。そこが人間らしいのではと思います。動・植物にこうした問題はありえないでしょうね。否、どなたかが飼っている犬にもストレスが見られます、ということはありえますか。
 人はその適応という考えに縛られて生きているように思います。適応できないことは悪のごときです。適応できないと生活の上で困ることはあります。が、必要以上に子供の時から環境、まわりに適応しなければならないという神話?にとらえられているように思います。もっと自由に自分らしく生きていったら、と言ったら無責任ですかね。
 「六月病」は、新入社員が六月になると新しい環境、職場に適応しようとストレスが生じることを言うようですが、こちらは利潤追求をめざす会社に適応しなければならないわけで、大学生の「五月病」よりは厳しいでしょう。
 いずれにしても、今だけを見て思い悩むのではなく、先を見て生活をすることが大事だと思います。ストレスは時間の流れの中で失せるでしょう、楽観的と言われるかもしれませんがそんなものでしょう。隠居爺もそれなりに環境に適応して生きていく日々ですが。

 ちなみに人は環境に適応するという考えがあります。言うならば「環境内存在」です。同時にその環境を超えて、世界に開かれているという考えがあります。シェーラーやハイデッガーのいう「世界内存在」です。突然、話がぶっ飛んでしまいました。

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2017年6月22日 (木曜日)

他者への配慮

 雨があがり、今日はまた梅雨の晴れ間でした。外出して歩いてきたら、汗をかいていました。じっとして部屋にいれば暑さを感じることもないかもしれません。しかし、まだ外出する、外出したい気持ちがあるわけで、じっと家にこもっていることはできません。いつかは外に出るのが困難になるかもしれません。想像すると、いと寂しというところです。それがいつになるのかは分かりません。今はできるだけ遅く来るような生き方をしなければなりません。それには、毎日必ず外を歩くように努めることですか。また気持ちの持ち方でしょうか。

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 先日、公園を散歩していたときです。突然、後ろで自転車が倒れる音がしました。小学生の女子、3人が自転車で走行中に接触、あるいは何らかの理由で道を外して転倒したか、知ることはできませんでした。振り返って見ていたら、怪我はしていないようでした。一列で3人が走行していたのか、横並びで走行していたのか、どちらだったのでしょう?
 公園の歩道を歩いていると猛スピードで自転車が駆け抜けて行くのを見かけます。人にぶつかれば大事に至るかもしれません。一人一人の他者への配慮が欠けているように思います。偉そうなことは言えませんが、お互いに気遣う、他者を配慮することが必要ではと思います。 


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2017年6月21日 (水曜日)

台風のような梅雨空

P6180297 さきほど長靴をはいてスーパーへ、昼食を買ってきたところです。雨風強いです。まるで台風のような天候です。これから夜にむかって雨風が続くのでしょうか。
 大学の教師をしていた頃は、天候が荒れてくると帰りの電車が気になりました。自宅から大学までは電車で二時間を越えていましたから心配するところがありました。また台風が来ている中、休講になるかどうか分からず電車でなく車で出勤、大学に着いたら休講でしたということを何回か経験しました。今のようにネットなどで大学の判断がすぐ分かる時代ではありませんでした。出勤前や途中で大学に休講かどうか聞く余裕はありませんでした。情報獲得手段としてのネットの活用は助かります。たかがネット、されどネットですか。

 東北地方、今日が梅雨入りと報じられていました。子供の頃、梅雨の日の放課後は友達の家の縁側で過ごしていました。おしゃべりしたり本を読んだりして。梅雨は長く続いたように思います。毎日、しとしと雨が降っていました。そんな季節は周りが緑一色の世界でした。「故郷は緑なりき」というタイトルの映画が昔あったように記憶していますが、まさにタイトル通りです。

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2017年6月20日 (火曜日)

自分の課題、目標を立てて過ごすことの大切さ

P6180300 暑い季節になれば、散歩の時間は朝方が良いかなと思います。夕方前、散歩しましたが歩くほどに身体が汗ばんできました。服装はまだ夏向きといえないので、着るものによって違ってくるところはあるでしょうが。寒い冬、朝の散歩はどうかと思いますが、これからは朝の散歩を考える必要がありそうです。ただ、遅寝の傾向がある私には早起きの生活スタイルに変えなければなりません。

 先日、そそっかしい自分のせいで手指あたりを数カ所傷つけました。しかし、たいした傷ではないとはいえ今日、ふと手を見てまったく傷あとが消えていることに気づきました。目に見えるものは、時間の流れの中でその変化を見ることができます。が、目に見えないものはどうなっているのか見ることはできません。あたりまえのことを仰々しく書くこともありませんか。

 今日は散歩しただけで一日が終わりそうです。何か気力がでてこない、単なる怠けですか。仕事をしていた時は気力よりも義務感でした。正直、かつて大学で授業をしようとするも気力が失せていることがありました。だからといって授業を休むことはありませんでした。仕事から離れたら、そうした義務感がなくなっていくらでも怠けられる状況がでてきます。
 自分の課題、目標を立てて過ごすことの大切さを感じます。

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2017年6月19日 (月曜日)

真夜中のコーヒーとクラシック

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 週半ばから、いよいよ梅雨らしい天気が続きそうです。今日は晴れ間が広がり、陽の下は暑く日陰をもとめて散歩しました。公園では暑さをさけて、木陰で憩おう人たちの姿が見られました。

 静まりかえった真夜中、コーヒーを飲みながら好きなクラシックの曲を聴いていると、至福の時間を感じます。コーヒーは、一日3杯までにしています。よく寝る前にコーヒーを飲むと、眠れないと言う方がいます。私はすぐ眠れます。身体が壊れているのでしょうか?音楽を聴きながら、あてどもないことを考えます。コーヒーを飲み終えた頃に曲も終わり、一日が終わります。今の生活の得がたい時間です。ただどこかへ行く予定の時は、12時前には寝るようにしています。

 5月半ばに江戸を出て、みちのくへ向かった芭蕉は明日、宮城南部の白石から東北本線と常磐線が分かれる岩沼に立ち寄ります。仙台から松島へという奥の細道が続きます。この辺りになると私の生まれ育った所なので、彼の『おくのほ道』への興味がいっそうわいてきます。子供の頃の風景が想い起こされてきます。しかし、そうした風景は心の中におさめていくしかないかもしれません。
 俳句という短い文で表現することは難しいです。一方で長文、長編小説などを読むと、よく書くことができるなと思います。いずれにしても文章表現は、易しいものではありません。それを承知であてどのない文章を書き綴っていくことができれば、最後には何か実を結ぶのではと思っています。

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2017年6月18日 (日曜日)

多様であるにもかかわらず一つ

P6180302 近くの公園、ファンタジック風にカメラが写真を撮ってくれました。自己流で写真を撮っています。だんだん写真の奥深さが分かってきました。基本をしっかり学んでいく必要を感じます。自己流では壁にぶつかります。
 退職してから、カメラに興味を持つ人の話を少なからず聞きます。人それぞれでしょうが、退職後の人に何か共通するものがあるのでしょう。カメラのファインダーを通して見えてくる光景を、こころに焼き付けていくことが何か生きることにつながっていくように思います。自分のとる写真は、世界で唯一、独自なものです。同じ被写体を多くの人が同時に撮ったとしても、どれも唯一、独自な写真でしょう。多様であるにもかかわらず、でも写真ということでは一つですか。
 
 「多様であるにもかかわらず統一である」、ヨーロッパ中世のクザーヌスの命題でしたか。先日、ローマ教皇が、多様性のうちの一致について、ミサで説教したという記事をネット上で目にしました。今の世を見ていると、人々の違いだけを強調しているように思えますか。一人一人の人間は多様で同時に唯一、独自の存在ですが、同じ人間ということでは一つ、一致という考えがあります。

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2017年6月17日 (土曜日)

アジサイ

 呑むには時がある、と都合の良いように解釈して呑んでいます。呑めなくなる時もきます。天気も良いし、昨夜のアルコールを抜くためにもと?、今、昼過ぎにちょっと散歩してきました。木陰をえらんで歩きました。日中は陽の下、暑そうです。公園の片隅にアジサイが咲いていました。たくさんのアジサイとはいきませんが、人知れずひっそりと咲いている光景も趣があります。

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2017年6月16日 (金曜日)

学生時代のタンゴサークルの演奏会

あるのを"P1010494"

 午後に雲が広がり雨が少しありました。一日を振りかえれば総じてからっとした天気でした。嬉しいですが、気候の変化に考えることがあります。梅雨時のじめじめした天気はいやですが、それがないとすればまた気にかかるところがあります。自然環境の変化は人知を越えていますか。

 今、馴染みの店で呑んで帰ってきたところです。それなりに呑みましたが、酔いはそれほど。酒は呑めども冷え冷えした理性が残り、なんて格好いいことを言わせてもらいます。帰宅後はタンゴを聴きました。ピアソラの曲です。学生時代、学内のタンゴサークルの演奏会に聴きに行きました。その時、ピアソラの曲はまだありませんでした。今思えばアルゼンチンタンゴより「碧空」などのコンチネンタルタンゴが多かったように思います。アルゼンチンタンゴのピアソラはその後でしたから。
 心地良いリズム感とセンチメンタルなタンゴ、が、その背景には人々の悲しみや苦しみがあるのを知るのは遅かったです。単なる情緒的な好みでタンゴを聴いていた自分を恥じます。あの頃はオーケストラの形がありましたが、最近は部員も少なく。でも、昔を思い近いうちに大学のサークルの演奏会に行ってみたいです。今、大学のタンゴ音楽サークルは少ないようです。
 小学生の時、バイオリン教室に行っていたことがありました。でもちょっと行っただけで止めました。もっと続けていれば大学でタンゴサークルに入っていたかもしれません?母の兄が趣味でバイオリンをやっていたことで、母が私に勧めたのでした。鈴木慎一?でしたか、「バイオリン教則本」。

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2017年6月15日 (木曜日)

「孤愁」

 今日も梅雨の晴れ間、半袖シャツのうえに薄めの上着が欲しいです。
 さきほど昼寝から目覚めました。誰かが、目を覚ましなさい、と私を呼んだわけではないですが。今日、深夜の国会中継を最初の方だけネット中継で見た関係で、寝るのが遅くなりました。さすがに昼寝をしてしまいました。

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 ブログを書いていると、あらためて知らない、使ったことのない言葉にであいます。何とはなしに辞書をひらいていたら、「孤愁」が目に入りました。意味は「ひとりでもの思いにふけること」と書かれてありました。時に私はそんなことがあります。ただし もの思う、考えている時もありますが、まったく何も思うも考えもしていないことがあります。ある時、それを見た人が、「大丈夫ですか、心配事でも」と声をかけてきました。「いいえ」と答えました。前に大学の授業で学生に何か課題を書かせていた時、私は何気なく窓の外の景色を漠然と見ていました。そうしましたら、教壇近くの席の学生の一人が、「先生、かっこいい」と。私は思わず苦笑。またかつて高校の同窓会で、出席した教師が「よく考え事をしていましたね」と。大きな誤解です。授業に身が入らず外をぼけーと見ていただけでした。教師には、「そうです」とは答えませんで「ええ……」とあいまいにしました。

 デンマークのキルケゴールは「孤愁」でなく「憂愁の哲学者」と呼ばれましたか。彼にふさわしい呼ばれ方です。彼は思想史上、時代の流れの中で近代の克服と闘かった人です。その闘いが「憂愁」に結びついたのですかね?

 外は時折風が吹いています。最近、よく風が吹いている天気が多いように思います。風の流れが変わってきた、押し寄せてきているのでしょうか。

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2017年6月14日 (水曜日)

アジサイの開花が気になる頃

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 梅雨の晴れ間といっても梅雨入り宣言以来、雨がしとしと長く降る日はありません。北から冷たさが流れてきていることもあってしのぎやすい天気です。お昼過ぎ辺りは公園は静かで、のんびり散歩しました。新緑が光による陰影の世界をつくっています。世の中のことを忘れて、無心に自然の中に入ります。
 30分ほど散歩後、帰宅。世の中の現実に戻ります。といっても隠居の身、現実から離れている一面があります。一歩しりぞいて世の中を見ていますと分かってくることもあり隠居も捨てがたいです?要するに、物事は距離をおいて見ると新しいことが分かってくるということでしょうか。

 梅雨の季節というとアジサイが思い浮かびます。そろそろ場所によっては開花の時かもしれません。有名な場所は人の混雑を見なければならなくなります。知られていない場所で、そっと静かに咲いているアジサイを探すべきかと思います。
 一日の最後の方で書くべきかと考えるところもありますが、晩酌の前にブログを終えておくのも一興かと思います。

<追記>小田原近くの小田急沿線の開成町で、あじさい祭が11日まで行われていました。ついでに13日から18日までは、古民家の瀬戸屋敷を会場に風鈴祭が行われます。

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2017年6月13日 (火曜日)

映画「ローマ法王になる日まで」を観てきました

P1010497 映画「ローマ法王になる日まで」を観てきました。ネット上のオフイシャルサイトを参考に、以下にあらましを書きます。1960年代、アルゼンチンのブエノスアイレス、大学で学んでいたべルゴリオは20歳のときに聖職者になることを決めイエズス会(ルターなどの宗教改革後、イグナチオ・デ・ロヨラが創設した修道会)に入会します。35歳の若さで教会の管区長に任命されます。当時のアルゼンチンはビデラ大統領による軍事独裁政権です。政権下で謎の失踪者が増加し、反政府活動をした者は聖職者を含め殺害されました。ナチス政権下での光景が重なります。1985年、暗黒時代は終焉、独裁政権は崩壊します。べルゴリオは2013年3月、第266代ローマ法王に就任します。現在のフランシスコ法王です。物語は、ビデラ独裁軍事政権下での出来事が中心となります。フランシスコ法王の半生を描いた映画です。法王は聖職者になるとき、日本へ宣教師として行きたいことが描かれていました。いつか日本を訪問するのでしょうか。

 なかなか重苦しい映画で、帰り道に店により酒を呑みましたが酔いがまわりませんでした。冷酒4合ですが。ちなみに京都・伏見の酒「京姫」です。

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2017年6月12日 (月曜日)

岐阜への小旅行

P5300285 先週末、岐阜へ行ってきました。20数年前に大学の後援会で出張して以来です。駅前が新しくなっていました。新しいホテルもいくつか建っていました。惜しむらくは、最寄りの新幹線駅が岐阜駅から離れているところです。新幹線名古屋駅でJR岐阜駅方面の在来線に乗り換えました。ローカル線の風景でした。

 夜は柳ヶ瀬(昔ほどの賑わいはないようでした)にある店で、岐阜ですから鮎の塩焼きなどを頂きました。すでにスーパーで売っている鮎を食べていましたが、やはり地元です。身が柔らかく美味しく頂きました。長良川の鵜飼いにも行ってみたいものです。地酒は「三千盛」にはじまり、岐阜の酒を頂きました。もう一度行きたい店でした。ちなみに「濵芳」という店です。また、近くある「ツバメヤ」という店で本わらび餅とどら焼きをみやげに買いました。本わらび餅は絶品でした。京都で食べたものより美味しく感じました。

 今回の旅行はもっぱら地元の料理と地酒三昧に終わりました。私らしい旅の終わり方です。なお卒業生の案内があったから、美味しい料理と酒に出会えたのでした。彼は学生時代、私の酒によくつきあってくれました。

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2017年6月 9日 (金曜日)

<ストロベリームーン>

P1010457 夜空の雲間に満月がでています。アメリカの方では<ストロベリームーン>と言うそうです。この時期、イチゴの収穫期ということと関係があるのでしょうか。また月がイチゴのように紅くなる、今、8時半になるところですが窓から満月を見ましたらそれほど紅くは見えません。これから見られるでしょうか?天体望遠鏡を使って。またこの満月を好きな人と一緒に見ると結ばれると言われているそうです。夢があっていいです。
 明日は30度をこえると予報がでています。暑さ対策をと思います。特に水分補給は大事です。

 最近、思わぬ状況で指、足を物にぶつけては痛い思いをしています。注意散漫ではすまされぬ老いの影響がでてきているのかもしれません。もともとそそかっしいところがありますが。また全体を見ず部分だけを見てものを判断する傾きが見られます。そうしたことに対して、どう向き合っていくか、が必要になってきます。人間は完全な存在ではありませんか。

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2017年6月 8日 (木曜日)

映画館の光景

P1010434 昨日、梅雨入り宣言でしたが、今日の天気は昼前あたりから青空が広がりました。梅雨入り宣言は間違ったということでもないのでしょう?昔、子供の頃でした。夕方に履いている下駄を前に放りだしては、下駄の表裏で翌日の天気の判断をしていたことがありました。メルヘンというか。気象台では、かなりのプレッシャーで気候現象から判断をだすのでしょうか。

 昨日、映画を観に行きましたことを書きました。平日であればなおさらだったのでしょうか、注意深く見ていたわけではありませんが、私のような老人が多かったです。シニア料金、1100円です。入場前、館内の椅子に腰掛けて入場案内を待っていましたら、二人の婦人がやって来て「席、よろしいですか」と。私は4人掛けのところですので、「どうぞ」と首をふりました。二人はすぐ簡単な昼食をテーブルに出しました。私とは別の映画でまだ時間があるのでしょう。じきに映画の開演時間がせまり入場の案内がアナウンスされたので席を立ちました。前に歩いている婦人二人、私のような老人です。一人が後ろを振り返り、「早くしなさい」と声をあげていました。高齢化社会の映画館の光景です。私もその光景に入っていました。ただし映画館は若い方が観るような映画を上映していますので、若い方もいました。
 いつも席は端っこにとります。が、都心の映画館と違い空いていました。真ん中でも周りは空席でした。判断ミスでした。さて、映画を観て何かを学べたらと思って出かけるのですが、昨日の「光」から何を学んだのでしょうか。もちろん、大笑いして楽しく観る映画にも行きます。かつての寅さんの「男はつらいよ」です。しかし、大笑いした後に、寅さんの人生から学ばされることはあります。ついでに言えば柴又の草だんごを食べに行きたいです。映画の帰りに酒屋に寄り、芋焼酎の「ⅩⅩ晴耕雨読」を買いました。普通は<ⅩⅩ>がついていないものをたまに呑んでいました。瓶のラベルに書いてある説明を読んでいたら呑みたくなりました。今までに呑んでいた焼酎とはだいぶ違う味のようです。ブランデーのようなものですかね?

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2017年6月 7日 (水曜日)

映画『光』を観てきました

P1010439 ――生きることの意味を問いかけ、カンヌ国際映画祭他、世界中から大絶賛をされた『あん』。河瀨監督と永瀬正敏のダッグが、ヒロインに水崎綾女をむかえて次に届けるのは、人生で多くのものを失っても、大切な誰かと一緒なら、きっと前を向けると信じさせてくれるラブストーリー――(Web上の映画『光』公式サイトから抜粋)
 失礼ですが、簡単に言えば、弱視、次第に視力が衰えていくカメラマンを演じる永瀬と映画の音声ガイドの仕事をしている若い女性役の水崎の二人を中心にストーリーは展開していきます。ある日、永瀬は自分の心臓と思うほど大切にしていたカメラを投げ捨てます。そこに彼に寄り添う水崎の姿がありました。

 我が身を振りかえれば、老いて様々なものが失われていきます。が、新しいものが現れてくるようにも思います。

 曇り空、気温が低めです。でも週末は30度を越える予報が出ています。体調管理が大事です。

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2017年6月 6日 (火曜日)

愚かな爺の繰り言

P5300309 古くなり捨てることになった蛍光灯照明器具のプラスチックのシェード(かさ)を、素手で壊し始めました。すぐ手の数カ所に傷をつくってしまいました。軍手をしてやれば良いのに、そそっかしい自分に呆れ果ててしまいました。始める前に、作業の手順等を確認すべきでした。4カ所にバンドエイドを貼りました。たいした傷ではありませんが、ちょっと気にはなります。

 昨日、夕方前に散歩に出ました。丁度、赤提灯が灯る頃、足は店の方へ向かいました。夕食にはまだ二時間ほどあると合理化し店に寄りました。やきとりを数本食べながら、生ビール1杯、冷酒で新潟の「鮎」と山口の「東洋美人」を呑みました。まだ明るい夕暮れ時を帰宅しました。夕食を食べ終えて、食べ過ぎ―となりました。当たり前です。
 愚かな爺の繰り言ですみません。もっと思索して、形而上学的な内容を書きたいものです。

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2017年6月 5日 (月曜日)

都会と地方

P1010469 午後、買い物へ。街中は私のような老人が多くいました。普段の日ですから学校、職場へと行く人以外で通りは占められます。
 前に、地方の小都市?に旅で行きました。商店街のあちこちで店のシャッターが降り、通りには人影がまばらでした。東京と地方の格差をまざまざと見せつけられました。人が住むには、どちらが良いかは見解の分かれるところですが、利便性といった観点から見たら東京に住む方が良いかと考えてしまいます。ところで都心から多摩地域に校舎を移した大学に都心回帰が見られるようですが、やはり都心に戻らねばならないのでしょうか。

 もっと読んでいきたい作家の一人にリルケがいます。彼の『マルテの手記』の冒頭に、人々は生きるために都会(パリでしょうか)に集まってくるが、死ぬために集まってきたとしか思えない、というような文章がでてきます。田舎から東京の大学に入学して、あるとき大学図書館の何階からか新宿方面の夜景を見ながら、このリルケの文章を思ったものでした。
 仙台の大学(附属高校から上の大学に推薦入学が決まっていました。ちなみに文学部の英文科でした)に入学していれば、今頃は東京にはいなかったでしょうか?今頃こんな事を思ってどうなるかですか。爺の回顧談は嫌われます。

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2017年6月 4日 (日曜日)

昨夜の酒が残り

P1010475 まだ布団の中。近くの高校の校庭からでしょうか、「1.2.3」と一人が声をかけると「4.5.6」と運動部員たちが声を張り上げ、その繰り返しが聞こえてきます。静かにやってくれ、と言いたくなります。が、声を出さないと気合いがはいらないのでしょうか? ふと老人がそうしたことをやったら良いかもしれないと思いました。老人たちが集まって、「1.2.3」、「4.5.6」と声を掛け合う光景は妙に思えますか。

 歳は誤魔化せず、昨夜の飲み会で疲れましたかだいぶ遅めのブランチをとりました。「獺祭」を小グラスで五,六杯飲んだでしょうか。冷酒は飲みやすくつい飲み過ぎになります。自重と節制o(*^▽^*)oで酒席にのぞみましたが、あっけなく消えていきました。

 いよいよ梅雨の季節に入りそうです。そんな中、京都へでも行きたくなりました。町中の寺の木々の緑が雨に映えて美しそうです。昔、苔寺に行きましたのを思い出しました。庭の苔が綺麗でした。岩倉にある実相寺でなく実相院の「床みどり」もこれからの季節に行って観たいです。ただ京都ですから、蒸し暑くなるでしょうか。
 また禅寺へ行って、庭を前に静かに想う時間がとれたら良いです。そんなことが頭をかけめぐっています。

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飲んで帰りました

P5300290 楽しく飲んで帰る道、午後11時半あたりで西武新宿駅に着きました。私が乗った電車の発車寸前、若い女性が乗り込むや倒れました。どうしたか、と思いつついたら乗客の一人の男性が自分の席に座るように促しました。彼女はそんなに酔っているようには見えませんでした。

 前は、昔はですか午前零時前の電車に乗ると、私のような呑兵衛がよくいました。が、今はいませんか。もう深夜深くなりました。思考能力も無理かもしれませんので、この辺で。

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2017年6月 2日 (金曜日)

梅雨前の青空

P5300295 梅雨前のからっとした青空が広がりました。今日は多摩や丹沢の山並みも眺められました。山々を眺めていると時間を忘れてしまいそうです。が、現実の世界に引き戻されます。現実から離れても必ずまた現実に戻る、というのが実存の在り方でしょうか?
 
 何か中だるみの状態で、あっという間に一日が過ぎていきました。緊張感不足ですか。絶えず緊張を維持していくことは難しいです。あるがままに、自分を受け入れていくことも必要かもしれません。あるときは張り詰めて、あるときはゆったりと。

 明日も湿度が低い心地良い天気になりそうです。東京の梅雨入りはいつになるのでしょうか?

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2017年6月 1日 (木曜日)

食べること、寝ることの戒め

P5300307 この頃は、昼食は簡単な食事で済ませています。仕事をしていないと、それで充分です。しかし、今日は近くのレストランで昼食をとりました。蕎麦と小丼をセットしたものです。食べ過ぎました。歳をとるとがっちり三食とる必要はないように思います。また呑兵衛には晩酌を考えると、昼食は軽めの方が良いように思います。そう言えば、今日からビールが値上がりとか、せちがらい世の中になっていきます。

 何故か、今朝はいつもより二時間ほど前に起床しました。そうしましたら朝食後、眠りに誘われ午前中に昼寝をしてしまいました。寝る爺さんは育つ、というようなことは聞いたことありません。が、眠くなったら眠ることは、自然かと思います。仕事中でもありませんから。
 かつて、なかなか寝付かれないことがありました。不眠症にまでは至りませんが、すぐ眠りに入れないのです。いろいろ考えたりすることがあったように思います。仕事のことなど考えることがありました。今は、ほとんどすぐに寝付いてしまいます。ただ遅寝遅起きが多く、早寝早起きを心がけたいと思っています。


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