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2017年9月

2017年9月30日 (土曜日)

風邪が癒えてきて一散歩

P9300363  週の初め辺りにひいた風邪を甘く見ていました。二,三日で治ると高をくくっていたら今日も未だ咳が時折出ています。のど風邪です。声が出にくくせっかくの美声がだいなしでしたが今はだいぶ良くなりつつあります.仕事に出かける心配もないので時がくればすっかり治るだろうと思っていますが、老人ですので注意が必要です。それにしても風邪をひいたのは1年半ぶりぐらいです。ここのところあわただしく過ごしていたことが原因かと。
 
 風邪がだいぶ良くなったので、近くの公園を歩いてきました。カメラをもって公園の花壇に咲く花を撮りました。公園の一画に保存されている旧日立航空機変電所前の花壇にはコスモスが咲いていました。先の戦時下で変電所への爆撃機による砲弾の痕跡が生々しいです。そこにコスモスが咲いている風景は考えさせられます。
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 今日で9月も終わりですか。カレンダーを見ながらあらためて時の流れは一瞬もとまることなく過ぎていくことを経験させられています。二日前72歳の誕生日を迎えました。この歳になると嬉しいやら寂しいやら複雑な誕生日です。風邪をひいていたので、誕生祝いどころではありませんでした。もとより最近は祝う気分も薄れてきているところです。

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2017年9月29日 (金曜日)

雲に乗って下界を見たら

P9290373 青空に浮かんだ雲に乗って下界を見たらどんな景色が現れますか。下界と言う言葉は仏教からきているそうです。人間界とも言えます。少しばかりの権力、地位、金などなどを巡って、あわてふためいてる人たちも見えるでしょうか。リタイした老人にかつての権力などを忘れることができない人もいるでしょう。馴染みの店へ行くと、今でも先生とわたしは呼ばれます。もうリタイアしたのだから名前で呼んでくださいと言ってありますが。しかし、正直まだ先生と呼ばれると悪い気はしないという自分がいます。人は地位とか肩書きに弱いです。
 終活はさきの権力、地位、肩書き、金などなどを整理する必要がありそうです。オギャーと裸で生まれエーンと泣いて裸で死んでいくのが人の道ではありませんか?なんか偉そうなことを言っているでしょうか。
 雲の上に乗ってなんてのんきな爺の繰り言を書きました。

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2017年9月26日 (火曜日)

今夜は晩酌なし

 P1000550 昨夜、吉田類さんのBSTBS「酒場放浪記」を観ました。最初に「おでん三吉」が出てきました。にら玉とさんまのすり身は絶品です。わたしが仙台へ行った時、ときおり寄っています。東京風おでんのしょっぱさ?はありません。関西風の薄味でしょうか。三越デパ近くにあり店のある通りからすぐに定禅寺通りがあります。いろんな行事で賑わう通りです。また仙台へ行った折行ってみたくなりました。もちろん地酒もおいてあります。
 今晩は風邪薬を飲んだ関係で晩酌はなしです。先日買ってきた奈良の地酒「梅乃宿」を吞もうとしていたのですが。薬より酒の方が効き目があるかもしれません。夏の疲れなどがでたせいか、風邪っぽいです。でも今夜しっかり眠れば明日には問題ないでしょう。季節の変わり目、気温の微妙な寒暖差は老人には要注意です。

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2017年9月25日 (月曜日)

沈黙の重さ

 昨日、苦しみの意味について考えるところを書きました。断片的に書き連ねた文章でした。苦しみの意味については、フランクルの『苦悩の存在論』から多くを学んできました。ナチス体制下で収容所にいれられたフランクルの言葉は重いです。隠居爺の出る幕でもないかと自問するところでもありますが。キルケゴールの絶望についても一言ふれました。
 今のこの国は希望にみちあふれているのですか。そうだとするなら絶望などとは無縁ですか。しかし、絶望にある人々がいるでしょう。沈黙しているだけかもしれません。希望を充たすものはなんなのでしょうか。金、権力、地位などなどですか。が、そうしたものを手に入れていても絶望にある人もいるでしょう。人のこころの内奥は隠れていますから、なかなか他人は知ることは難しいです。
 言葉の軽さに比して沈黙は重いです。世の中を良く分かろうとすれば言葉だけでなく沈黙に隠されたものを見つける必要があります。

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2017年9月24日 (日曜日)

苦しみの意味

Hokkaidox 能天気な爺ではありますが、ふと苦しみの意味を考えさせられました。苦しむ意味がわかっていれば苦しみの痛みも耐えられるのでしょうか。が、苦しむ意味がわからなければ苦しみの痛みは耐えがたくなるでしょうか。いずれにしても苦しみの意味はひとそれぞれのおかれた状況によって違うのでしょう。
 また他人の苦しみをわかろうとすることは難しく思います。そこには理解しようとしてもできないもどかしさの苦しみがあります。人は苦しみを持った人の代わりに苦しむことはできるのでしょうか。言葉で慰めようとする行為は否定されることではありませんが、言葉がでてこなくてただ見守るという行為もあるでしょう。
 苦しみの意味などは無意味という考えもあるでしょう。でも苦しみの意味を見つけようとする、分かろうとすることは、より強く生きていくことができるようになると考えています。言うならば、より深く悩む人ほど人生を豊かに生きていくように思われます。キルケゴールは、絶望することができないほど絶望的なことはないというようなことを言っています。絶望することができない人は死に至る病にかかっているとも。彼らしい逆説的な言い方ではありますが。

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2017年9月21日 (木曜日)

秋の涼風が流れて

P1010624 秋らしい爽やかな天気でした。気分も晴れやかになります。近くの昭和記念公園でコスモス祭りをやっているようなので出かけてみたいところでした。

 ここのところ自動車運転役であわただしく時間が過ぎていきました。運転は苦にならないし好きです。が、視力の低下で眼が疲れます。致し方ないことですが。老いていくとは身体の衰弱です。そんな身体をだましだまし死ぬまで生きていかねばなりません。いかにだましだまし生きていくかが老人の在り様です。考えようによっては老人の人生の醍醐味かもしれません。
 そろそろ大学は秋学期が始まるでしょうか。この時期、現役の頃はいよいよ大学が始まるかという思いにとらえられたものです。今はそうした思いはなくただ季節の移ろいに思いがいくだけです。先日、勤めていた大学から十一月初めの建学七十五周年記念式典と祝賀会の案内が届きました。あのキャンパスの自然環境が懐かしいです。新緑と紅葉の季節のキャンパスは特に美しいです。

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2017年9月20日 (水曜日)

酒を吞んで帰り思うことは

 二週間ぶりに馴染みの店で一献。家飲みだけでは息がつまります?ところで内を外を見てもどうなるんでしょうねと思います。隠居爺は時間がありますから、世の中のことじっくり見させてもらっています。そう長く生きるわけではないので正直世の中どうなろうと関係ありません。言い過ぎですか。が、これから生きていく人たちを考えるとそうもいきません。夕方、吞みに出かける時、同じマンションに住む小学生の男の子があいさつをしてくれました。この子が生きていく将来を案じました。
 いろいろ考えると楽観的にはなりません。この能天気な爺にして。飛躍しますが、わたしは政治家になれば良かったかなと思います。大笑いです。しかし以外と適性があったかもしれません。また大笑いです。蛇足ですが、かつて大学教員として学内政治家にはなろうと思いませんでした。まあじっくり生きていきます。死ぬまで。わたしの生き死にはまだ自分の手の中にあります。が、強がり言っているようです。神から見たらどうですか。神をもちださなくても人の生死は自分の手の中にはないでしょうか。所詮、わたしの命は塵芥です。自虐的ではなく現実です。楽しく面白く生きて死んでいきましょうか。

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2017年9月15日 (金曜日)

思い出の鳥海山

 夜、BSTV3チャンネル番組「新日本風土記」は鳥海山でした。とても懐かしく学生時代の思い出がまさに走馬燈のごとく流れていきました。大学のサークルの夏の合宿が山形の新庄市で行われました。その時雄大な鳥海山の偉容に出会いました。なだらかな稜線が美しく山の表情をかたどっていました。その頃は新幹線は走っていませんでした。上野駅から新庄駅までどれだけ列車に乗っていたでしょうか、記憶が定かではありません。今は山形新幹線の終点です。ふと一緒に行ったサークル仲間を思い出します。歳のせいですか昔のことが何かと思い出されます。残された人生、思い出を大事に生きていきたいと思います。ただ明日を見て生きていくことが肝心ではと思います。
 蛇足です。その合宿の時サークル活動から脱走して新庄温泉へレンタサイクルで行きました。三人組です。その行程はよく覚えていませんが、だいぶ遠かったように思います。芭蕉が乗った最上川の船着き場は近くにあったようです。

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2017年9月13日 (水曜日)

考えること

P7140077 時間があれば西の山並みを眺めます。今日の夕焼けも美しく映えて後に暗闇に消えていきました。自然崇拝者ではありませんが、山や海を見ていると人の命の流れを見ているような思いです。海は波が押し寄せては返す動きを止まることなく続きます。山は雲の流れと光の動きの中で絶えず姿を変えていきます。それも命の流れに思えます。
 リタイアした後の生活はどうしても自然の世界に吸い込まれていくようです。社会、他者とのつながりが薄くなるにつれ逆につながりが増えていくのは自然です。花鳥風月を愛する境地ではありませんが。時に残酷なまでに人に襲いかかる自然ではあります。

 たくさんある自由時間を何か考え事に使うことができるのは、老後の楽しみと期待していました。しかし、現実には考えることは易しいことではないと痛感しています。この頃は、学校教育で「考える力」などという言葉、「思考力」を学力の一つとして唱えています。ごもっともなことです、と受け止めていました。でも、それは教師が望む正解に至るように子供に考えさえるというのが実態ではないだろうかと考えたりしています。実はわたしの子供時代は、教師や大人が望む正解から外れた思考をする傾向がありました。したがって、わたしの評価は良くないことがありました。大人からは子供のくせに分からないことを言っているなどという雰囲気を感じさせられました。教師や大人の正解に合わせて子供が考えることは時代をこえてあったように思います。ノーベル賞をもらうような人は、そうした教師の正解に合わせることなく考える人であるのでしょうか?もちろん、数学の正解に合わせることは必要ですが。かつて教師をしていた自分としては、ではあなたは学生にどのように向き合っていましたか、と問われると恥ずかしいです。ただ自己弁明したいところはありますが、今更です。

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2017年9月12日 (火曜日)

自然への畏敬

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 夕方、西の空に美しい夕焼けの風景が広がりました。曇り空が多い最近の空を忘れさせてくれました。ふと東の方を見るとなんと虹がが出ていました。つかの間の美しい空にちっぽけな悩みは吹っ飛んでいきました。自然への畏敬の前には爺の悩みも消えていきましたか。

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2017年9月10日 (日曜日)

憂慮する実存

 昨夜、吞んで帰宅してからちょっとばかり文章を読み直したりして就寝しました。吞んで帰ってからというのが、やはり身体にきつかったようで今日は昼前に二度寝してしまいました。調子にのりすぎたようです。節度というのがあります。何事もほどほどにですか。七十を過ぎた爺にしては物わかりが悪いです。
 秋空が広がりましたが、何かわたしのこころは曇り空のようでした。考え始めるといろいろ憂慮すべきことがあります。ハイデッガーは人間存在、実存について、憂慮(ドイツ語 ゾルゲ)をもちだして説明します。人間、実存は憂慮する存在というようなことを述べています。憂慮することによって、より深く充実した生き方ができるとでも言えましょうか。そうだとすると、わたしの憂慮は否定すべきことではないとなります。とは言うものの……。

 ハイデッガーは日常性に埋没してはならない、というようなことも言っています。同感です。わたしにとって具体的には旅にでも出て非日常性の世界に入ることでしょうか。ここでまた、とは言うものの最初の一歩が踏み出されるまで時間がかかります。

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2017年9月 9日 (土曜日)

呑んで帰って一筆

P1010423 夜はすっかり秋の雰囲気です。宵闇が迫る7時近く馴染みの店の前に立ったら冷房をいれているのか入り口の戸が閉まっていました。店に入るなり、「涼しい風が吹いているのに」と主人に.。冷房はとめられて入り口の戸は開けられました。涼しい風が暖簾をゆらせてカウンターに流れました。馴染みの客がカウンター奥に一人座っていました。今夜は客が。世の中、不景気ですか。ただこの店は駅前というような場所ではなく住宅地の一角にありますが。美味しいイワシの梅煮を食べ、カツオのたたきを食しながら冷酒を4合、これでお終いです。 
 帰宅後、ブログを書いて生存確認です。昨夜は零時前に就寝と思っていましたが、零時半になりました。文章の手直しの都合です。朝起きて仕事へ出かけるわけでもないので。ただ体調管理の問題です。ストレスがなければどうということでもないのでしょうが。まだ10時過ぎたばかりなので、また文書の手直しを。こんな生活が隠居爺の残された楽しみですか?

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2017年9月 8日 (金曜日)

虫の音が響きわたる夜

P7230297 二日続けて午前二時半頃まで文章の手直しをしました。今夜は零時前には就寝しようと思います。やはり夜遅くまで起きていれば体調の管理も難しいです。でも時々は遅くまで起きてというのも良いなと思っています。
 しばらく鳴いていた蝉の声は夜には消えています。代わりに虫の音が響いています。万物流転ですか。カトリックの神父であり人類学者、古生物学者でもあるシャルダン(『現象としての人間』など)は、今も神の手の上で人間は進化し続けていると述べました。そのような思想の壮大さには感心しますが。人間は今どこへ向かって進んでいるのか、と問うことは大事だと思います。人類の繁栄、いや破滅へ、どちらでしょうか。

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2017年9月 7日 (木曜日)

「白露」

P8130330 今日は「白露」でいよいよ秋らしい季節に入るのでしょうか。仕事をしていた時はそうした季節の移り変わりには鈍感でした。仕事から離れてから気にかけるようになりました。季節の移り変わりとともに世の中の移り変わりにもよく目がいくようになりました。世の中というのは人の生き様が浮き彫りにされる場所です。見ていると諸行無常を覚えさせられます。川の流れのように常に流れ続けている人の生き様に無常を感じます。悲観主義になってしまいます。
 が、そうした見方にたてば生きる意味とは何ぞやという問いにぶつかります。無常、虚無をかかえて生きる意味を探しながら生きていくしかないでしょうか。世の中の見方は人それぞれですが。

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2017年9月 6日 (水曜日)

夜更けのコーヒー

P1010620 午後11時を過ぎました。すぐ就寝するにはもったいないような?夜の静寂がひろがっています。外では虫の鳴き声だけが聞こえています。これから少しばかり書きためた文章を読み直してみようかと思いつつコーヒーが飲みたくなりました。一日三杯と決めています。そういうわけでペーパーフイルターを使いコーヒーを入れました。そんな時間が幸せに感じてきます。身体も活き活きしてきそうに思えます。
 
 前に書いたかしれませんが、若い頃仲間と酒を呑んだ後で喫茶店(当時、コーヒー専門店は少なかったです)に入りコーヒーを注文しました。そうすると店から呑んだ後コーヒーを飲むのは良くないと言われました。が、しぶしぶ出してくれました。酒を呑んだ後、本当にコーヒーを飲むのはいけないのか、分からずじまいできました。酔っ払い客を入れたくなかったのではと思ったりしていましたが、やはり良くないのでしょうか。ついでに呑んだ後はよくラーメン店にも入り食べて帰りました。今は食べられなくもありませんが、これ以上太るとまずいので食べません。

 これから文章を読み直しますが、読めば読むほど書き直したくなります。どこかでくぎりをつけないと駄目だと思っています。

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2017年9月 5日 (火曜日)

レット・イット・ビー

P1010618 左足裏で何か小さな異物感がすると思い見たら魚の目でした。小さなものですが、気になるものです。薬局で魚の目をとる絆創膏状のものを買い貼りました。身体のどこかが異変を生じればこころも動きます。最近、身体のどこかが悪いということはありませんが、歳のせいで視力は悪くなってきています。昔ほど辞書をひいたりパソコンを仕事で使うことも少なく眼を大事にしています。老体はレット・イット・ビー(Let it be)ですか。その言葉からかつてのビートルズの名曲を思い出します。自分らしく素直に生きればいいと。あるがままに自分に格好つけたりせずに素直に生きていくということでしょうか。
 老人はわたしを見ていても分かりますが格好つけることがあるように思います。過去の自分に執着していると言えます。肩書きなどで格好つけようとしがちです。が、もうそうしたものは」脱ぎ捨てレット・イット・ビーでいきましょう。

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2017年9月 3日 (日曜日)

焼酎のお湯割り

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 陽が落ちるのが早くなりつつあります。今夜空のもと虫の鳴き声が響いています。窓をあけていると寒さを感じるほどの気温になっています。確実に秋が迫ってきています。

 昨夜は飲み過ぎたので、晩酌は焼酎のお湯割り一杯で終わりにしました。焼酎はお湯割りかオンザロックは美味いです。これからはお湯割りですか。前に大学からの帰り道に寄る馴染みの店で、日本酒の燗酒を頼みました。飲みましたら珍しい味だなと思っていましたら、店のおかみさんが焼酎を間違えて燗酒にしてだしたことが分かりました。店にいた人たちと大笑いになりました。でもその燗を付けた焼酎の味は不味くはなかったです。ちなみに焼酎には前割と言う飲み方があります。前割りという字のごとく焼酎を前もって水割りをして数日後に燗を付けて或いは冷やして飲むのだそうです。わたしはまだ飲んだことがありません。焼酎や赤ワインはポリフェノールが含まれほどほどに飲めば身体にも良いです。これからの夜長に考え事をしながらゆっくり焼酎のお湯割りも悪くないです。

 昨夕、しばらくぶりに公園を散歩。40分ほど歩きました。途中、右の足首辺りが痛みました。しばらくぶりで足首が驚いていたのかもしれません?公園内の花壇はやや咲いている花が少なかったです。写真はコンパクトデジタルカメラで撮ったので、遠めに写りました。写真の撮り方をきちんと学べば良いのでしょうが、自己流で撮っていますのでいまひとつですか。

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2017年9月 2日 (土曜日)

秋の予感

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 空高く青空が広がりました。流れゆく雲は秋の予感を思わせます。風も秋冷を思わせます。予定していた夏の怠けも終わりのようです。いざスタートですか?

 そんな秋の訪れをつげる周りの情景をベランダの椅子に腰掛けながらしばらく眺めました。閉じられた世界から開かれた世界へ向かうような思いでと言ったら大袈裟でしょうか。ここのところ閉じられた世界について考えています。それは物理的、場所的な問題としてよりは精神的、時間的な問題からの人間存在への問いです。不安に閉ざされ終末に向かう有限な人間存在の有り様を問うことです。難しいテーマです。
 ハイデッガーは、人間とは何か、と問われて、そのように問うことが人間だと答えたように覚えています。『形而上学入門』だったか?いわゆるアカデミズムの世界から離れて自由に好きなように考えることができることは、隠居爺冥利に尽きます。隠居爺だけでなく誰もが自由に物事を考える時間があればと思います。ヒマな隠居爺とはいえ身体が疲れているとわたしの場合は考えることができなくなります。考えるための時間とともに考えるための環境が必要となります。もちろん人によっては時間不足や厳しい環境でも考えることができるのでしょうが。

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2017年9月 1日 (金曜日)

風立ちぬ

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 風立ちぬ、と言えば堀辰雄の小説を思い出します。小説『風立ちぬ』に出てくる「風立ちぬ、いざ生きめやも」の詩句を、病で伏せっていた人が暑さから解放されて秋の涼しい風をうけて頑張って生きていこうという思いに勝手に読み解いています。今日はそんな情景がうかぶ天気です。が、昼前に陽ざしをさけてスーパーへ酒を買いに出かけたら、風は心地良く感じられましたがまだ暑さは残っていました。

 奥多摩の山並みを西に見ながら走り去るモノレールを撮りました。山並みで一番高く見える山、雲に隠れてはっきりは見えませんが大岳山です。1267メーターの山で、昔関東の低山歩きをしていた時一度登りました。最後の登りが急で今はもう登れないかも。大学へ通勤していた頃は、奥多摩の山々をモノレールから眺めていました。こころ安らぐ時でした。小田急小田原線に乗り換えると今度は丹沢の連山を車窓から眺めました。時に出勤拒否したくなる思いで乗車している時は、そうした車窓からの山の眺めがわたしを元気づけてくれました。旅に出て山並みを車窓から眺めることは至福の時間です。旅に出るときは、新幹線であればまず山が見られる窓側の席をとることが大事になります。が、通路側になったときは仕方なく寝ることになります。旅では夜に町へ出て良い飲み屋さんに出会うことも重要となってきます。わたしの旅はそんなものです。

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