カテゴリー「経済・政治・国際」の記事

2006年1月 1日 (日曜日)

謹賀新年

昨夜、大晦日は恒例であった紅白歌合戦を見ることもなく、早くに就寝。紅白、お笑い、格闘技等が番組のラインナップであったが、どうも興味なし。素直さが失われていく今日この頃です(?)深夜、2時過ぎに目が覚め、コーヒーブレイク。今年1年というより、これからどうして生きていくか想うことが多い。青年であったときのように、大志、希望がもてないのが60歳の人間の定めではあるまいが。この3月で102歳になろうとする母を考えると、あと42年も人生が残されていると思うのだが、それは別問題である。ひとの命はまったく個人的なもので、いくら長生きの時代がきたといっても、すべてのひとにあてはまることではない。その母に正月は会いに行くことを考えているが。ただ耳がとおく話がうまく通じ合えないのが、何とも。しかし、会うだけで十分と思う。もうお互いに話すことはないといったら誤解をうけるかもしれないが。あまりにも私的ですが、東京の大学から帰省した折りには、帰京するときいつもバス停で待っているわたしがバスに乗り込むまで、母は遠くで見送ってくれたものでした。浪花節みたいな雰囲気になりました。元旦から笑われそうです。今年の仙台は雪が多そうです。寒い北国の冬を想います。

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2005年4月 9日 (土曜日)

「マタイ受難曲」

  しばらくぶりで「マタイ受難曲」(J.S.バッハ)をレコードで聴く。やはり感動する。高校時代の聖書の時間があり、この曲を聴くきっかけが少なからずあった。煩悩具足、どうしようもない自分ではあるが、この曲を聴くことによって癒されることは大きい。田川建三氏のイエス・キリスト論の著作、故遠藤周作の遺著というべき『深い河』などを読んで、イエス・キリストの生き方のすごさを想いつつ、この曲を聴く。馬小屋で生まれ、十字架につけられ死んでいったキリスト。いったいこの人に、この世の権力、地位、金、名誉等あったか、一切ない。それどころか石を投げられた。昨日、ローマ法王の壮大な葬儀があった。宗教と名の付く団体の頂点に立つひとは、いかに在るべきか?このような問いは、わたしには無理か。エリ、エリ、ラマ、サバクタニ(我が神、我が神、どうしてわたしを私をお見捨てになったのですか)、という十字架上のイエス・キリストの叫び。何という言葉だろう。この言葉のすごさを覚えさせられる。

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