カテゴリー「心と体」の記事

2014年9月14日 (日曜日)

人間にとって心とは何か

 今夜、NHKスペシャル「臨死体験 立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか」 (午後9時00分~10時13分)を期待して見たが、正直、よくわからなかった、というのがわたしの感想です。プラトン、アリストテレス、そして近代に入ってデカルトが人間存在における心を問題にしてきました。デカルトの心身二元論で人間を説明することは無理であることが語られてきています。そのこころとは、番組では意識、魂などのことばと同一に使われているようでした。現代においてはこころは、脳との関連で説明されてきている傾向があります。大学院でV.E.フランクルと出会ってこころ、体のほかに精神が存在し、それが人間を人間たらしめるというかれの精神医学的人間学・思想を知りました。今までわたしはかれの考えにたって人間を理解してきました。そこから、この番組を見ました。前述の正直、よくわからなかった、という意味は、こころの説明が不十分に思えたからです。いずれにしても、わたし自身の実存の問題としてこれからも考えていきたいと思っています。
 哲学してしまいました(*゚ー゚*)

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2011年10月 1日 (土曜日)

イチロー選手

-過去にない長さの時期があった。そこを支えたのは何だったのか

 イチロー 支えたのは、……元気な体じゃないですか(笑い)。まあ体は元気だったんですよね、ずっと。心はねえ、ポキッと折れたことはありますけど。体はとにかく元気だったから。それに支えられたよね。普通は、体がね、しんどくなってくるから、それを心で支えるっていうのが順番、まあ多いんだけど。よくあることなんだけど。まったく反対だったもんね。折れた心を完全に体で支えてたっていうね(笑い)。まあ特殊な現象がありましたね。・・・・・・・・先日の新聞紙上におけるメジャーリーグのシーズンを終えてのイチロー選手のインタビュー記事の一部である。http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20110930-842450.html・・・・・・・・記事を読んで、特に印象に残った部分である。あえてわたしが考えたことを。普通は、体のしんどさを心で支えるということが、よくある。しかし、そうではなくて折れた心を体で支えるという順番が反対であった、とイチロー選手は言っている。普段から禁欲的な生活をしていることが基本にあるのだろう。精神主義ではなく、かといって身体主義でもなく心と体が一体となった身(生きられる身体)ということであろうか?

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2005年3月29日 (火曜日)

新学期前の大学教師の独り言

11gouka211 大学の卒業式が終わり、次は入学式。外国の大学のようにセメスター制をとるようになって、こうした行事は年2回になった。とはいっても秋学期の入学式の学生は多いとは言えない。いずれにしても年間4単位で授業がおこなわれていたものがほとんど2単位の1セメスターになった。その是非はいろいろ見解がわかれるが、時代の流れではあろうか。教職員も学生も確実に多忙になったとも言える。
 わたしの勤務する大学では、教員同士の授業公開をおこなうようになった。今年度もその授業公開の連絡がきていた。昨年は、非常勤の先生が1名、わたしの授業を見にいらいっしゃいました。有り難いことです。もう隠すものも失うものもない(?)ので、あるがままにいつものように授業をすすめました。幸いにも褒めていただいたところもありました。今まで、なぜ教員は大学であれ、高校であれ、授業を公開するのをしぶってきたのだろうか?研究課題になりそうです。真面目に。授業がいやになってくるとか、ひとに見られるのが負担になったら教師を廃業するしかないか?が、生活があるしね。それに加えて授業という教育だけではなく研究もしなければならない。業績評価のひとつである。教育も研究もすばらしい教員になりたいですね。が、・・・・・・・・・。昔の先生は良かったなと言ったら、怒られますね。では、4月からまた死なない程度(?)に頑張りましょう!!

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2005年3月 8日 (火曜日)

ストレスとは何か

kouenn 
 最近、病気のことが気になります。60になろうとすれば当たり前の話ですが。まわりで病気になるひとが少なくないです。一見、健康そうなひとが病気に。わたしも、身体がどうなっていることやら。が、愚か?というか病院に行ってという気持ちはさらさらないです。子どもの頃は、虫歯でよく歯科に行きました。これは痛いので行かざるをえません。昔、大学付属の歯科に治療で行きましたが、たくさんの治療機械?があって、まさに集団治療室でした。最近は、虫歯よりも歯周病の心配で、歯科に行かざるをえません。しかし、何が問題かというとこころ、精神です。自分では極楽とんぼなどといっていますが、いやはやストレスとの闘い(言い過ぎか)の日々です。みんなそうでしょうが。かくあるべき自分と現実にある自分との断絶、それはいたしかたない人間存在の本性なのでしょうが、その断絶に悩むのです。違いますか?パスカルは、人間は中間的存在であるといいましたが、この宙ぶらりんの中で生きていくしかないのでしょうか。悟りをひらいたひとなどは別ですが。
 病気の原因は多くあるでしょうが、医師でもないわたしの見解としてはストレスが原因の多くを占めているのではないか。他人のこころは自分と同じであるが、一方全く違うというの真実では。だから悩んでしまう。孤高に生きるというのは難しく、やはりみんなと同じように生きたいのが普通でしょう。精神医学者のフランクルは、精神の抵抗力ということを言う。自分の身体、こころに抵抗する精神の力をいうわけです。この考えには、少なからず共鳴します。それにもかかわらず生きる、そういう姿勢が生きる力になるのでしょうね。ではその力がでてくるのは、どこからなのかというと意味とか価値とかなのでしょうね。生きる意味、価値をしっかり持っている人がストレスに強いのかもしれません。が、わたしには分からないことが多すぎます。

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