カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

2018年2月17日 (土曜日)

冷たい風の中、散歩

 今日は午後、急に雲が出て風が強く吹きましたが、しばらくして青空に戻りました。まだまだ天候は定まらず春の訪れは遠いように感じられました。が、必ず季節は巡ります。
 夕方前、散歩に出ました。風が冷たくフードをかぶりました。が、そこまですることでもないかとフードをとりました。ぐーたら生活をしているわたしにはほどよい冷たさかもしれませんでした。三十分ほどで帰宅しました。行き倒れでもしたら大笑いされますから。
 本日の晩酌は、スーパーで買った新潟の酒、季節限定の「八海山<越後で候> しぼりたて生原酒 」(青ラベル)を初めて飲みました。アルコール度19~20で喉を過ぎると胃にズシンときました。いつも飲んでいる酒は15~16です。そこでロックにして飲みました。荒々しさはあれども後味良くさっぱりした味でした。ちなみに赤ラベルは、前に大学そばの馴染みの店で居合わせた先生から一杯頂いたことがありました。こちらは純米吟醸でまろやかな感じでした。値段は高くなります。日本酒は奥深いです。まだまだ修業が足りない呑兵衛です。

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2018年2月16日 (金曜日)

梅の便り

 所用があって隣駅まで電車に乗らず歩いて行きました。十二分ほどで目的地につきました。用事を済ませ帰り道も電車に乗らずに街の通りを歩いてきました。途中で疲れを感じ急ぎ足で帰宅。ふだん散歩している時間とあまり変わらないのに疲れたのは、街の人通りを歩いていたせいかと思いました。行き交う自転車などに気を遣うなどが疲労となったのかもしれません。いつもの散歩道は公園を中心にそうしたことにあまり気を遣うことはありません。
 自転車とぶつかったりすることは避けねばなりません。自転車といえども老人には衝突でもしようもなら致命傷をおうことになります。何しろスマホに夢中になりながら自転車に乗っている人がいます。良く注意していないといけません。公園をのんびりと時に花々を見ながら散歩することができるのは嬉しいです。ただ今は花があまり咲いていないのは残念ですが。立川の昭和記念公園ではスノードロップの白い花が咲いているようなので観にいきたいと思っているのですが。小田原辺りは梅の花が咲き始めているでしょうか。以前は、青梅の梅林へよく花を観に行きました。が、病気、ウイルス感染し多くの梅の木が切られました。今は梅の木を再生中です。再生には十年以上かかるとか。咲き始めるのはいつになるのでしょう。

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2018年2月15日 (木曜日)

音楽は思索の源泉であり慰め

P1010941 昨夜飲んだ日本酒純米酒は甘口のようで、飲み口は良いのですが、後で身体に残ったような気がします。二日酔いほどにはなりませんでしたが。値段が高くなりますが、吟醸酒が好みです。遅めの朝食をとりながら、予報通り気温が春めいているのを感じました。
 午後、読書途中の中島先生の『七十歳の絶望』を一気に読み終えました。日記風に頁がすすみ哲学談義が展開されています。カント哲学のもと時間論が専門のようで、哲学上の論議はわたしの理解を超えています。が、日常の出来事の叙述が面白くあっという間に最後の頁になりました。
 昨日、絶望も希望もせずあるがままに今を生きる、と書きました。補足説明をすれば、絶望であるにもかかわらず希望をもつ、希望をもちつつ絶望するという意味です。
 さきほどネットラジオ<OTTAVA>を聴きながら読書をしていました。とてもこころが安らぐ曲が流れていました。気になり読書を止めて、楽曲名を調べたら、タリスの「汝のほかにわれ望みなし」(40声のモテット)でした。音楽は思索の源泉であり慰めです。

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2018年2月14日 (水曜日)

絶望することなく希望することなくあるがままに今を

P1010940 昼時に近くの郵便ポストとスーパーへの買い物へ出かけました。寒さはいくぶん和らぎ明るい陽ざしが眩しいほどです。よく思うのですが北国の人にも早くこのような陽ざしを。公園のベンチにはよく老人が腰掛けていますが、今日は誰もいないベンチでした。

 今日はバレンタインデーです。前にも書いたかもしれませんが、わたしもチョコレートを頂いたことがあります。スナックのママからも頂きました。やはり思い出に残るのは、若いとき勤めていた短大で学生であった二人のシスターから天使の人形のチョコレートを頂いたことです。煩悩具足のわたしには嬉しかったです。しばらく食べずに本棚に置いておきました。卒業後は修道院経営、あるいはカトリック教会の幼稚園の先生になったのでしょう。今頃は先生をやめて修道院だけの生活に入っているでしょうか。シスターと特に言葉を交わすことはありませんでした。笑顔でチョコレートをわたしにくれたときの光景を思い出します。過去の話です。
 
 午後、前に書いた哲学者中島義道先生の『七十歳の絶望』を半分ほど読み終えました。カント哲学などに関する部分はよく分からず飛ばしてしまいました。わたしと歳が近く親近感を感じます。日記風の文章で、先生の人となりが浮かんできて楽しく読みました。
 あえて先生の言葉に対して、わたしは絶望も希望もない七十二歳と言いたいです。絶望することなく希望することなくあるがままに今を生きていく七十二歳です。格好良すぎですね。ご勘弁を\(;゚∇゚)/。
 夕暮れが迫っています。今夜は近くの馴染みの店で一献。

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2018年2月13日 (火曜日)

日が長くなってきました

 ここのところ寒さにかまけて散歩をしていません。せめて散歩ぐらいはしないといけないと思っています。だんだん温かくなってくるでしょうから、自然に散歩に出かけるようになるのでしょうが。
 オリンピックが始まり連日競技がTV中継されています。ジャンプ競技などはオリンピック会場の気温や風の影響で選手が大変のようでした。冬のスポーツは、子供の頃から何もしてきませんでした。スキーは高校の時、級友たちが近くのスキー場へ出かけていました。仙台市内にスケートリンクがありましたが、スケートをしている級友はいなかったように思います。運動が苦手なわたしは駄目でしたし関心もありませんでした。子供の頃は大雪に見舞われることが時々ありましたが、いつのまにか雪は少なくなっていきました。が、ここのところの寒波の影響で仙台はほどほどの雪が降ったようです。仙台へ出かけるのは先になりそうです。

 日没が五時十分過ぎでした。だいぶ日が長くなってきました。西の多摩の山並みの彼方に沈む夕陽を見ながら、北陸や北日本の大雪のことを思いました。大雪の中にいる元同僚や卒業生はどうしているかなと思いを馳せました。

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2018年2月12日 (月曜日)

死は絶望的ですか

 昨日より6度ほど気温が低い午後、近くの書店へ。本のタイトルを見ていると出版社の苦労が分かります。いかに購入してもらうか、タイトルにこだわっています。内容よりもまずタイトルで人の目を引きつけねばなりません。新刊の単行本をさっと見ました。買おうと思う本はなし。新書版の本棚を眺めていたら、中島義道『七十歳の絶望』(角川新書)が目にとまりました。哲学者である著者については名前を知っていましたが、著書は読んでいません。さっと頁をめくりましたら面白そうな本でした。また帯紙のー―どんなに豊かな人生でも{死ぬ限り」絶望的であるーーという文章に惹かれました。内容は読んでの楽しみです。{死ぬ限り」絶望的である、という文章の意味が、読めば分かるでしょうか。人それぞれの人生観、価値観などによる見解によって、死が絶望的かどうかは違ってきます。死は事実概念である、が、人が考えた言葉、価値概念でもある?人以外の動物は、死を絶望的と考えることはないですか。
 明治のクリスチャン(無教会主義者)内村鑑三は、娘のルツ子さんが亡くなったとき、万歳、と叫んだそうです。キリスト教の立場にたてば死は絶望でないということです。難しいですが自分なりに問い考えていきたい問題です。

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2018年2月11日 (日曜日)

言葉の重さ

 言葉の重さを知りつつブログを書いているつもりですが、時に自分に問いを発することが必要であることを感じています。言葉の重さを知って書いているか、と。言葉の重さとは何か、いろいろな説明ができると思います。
 ところで昨日、歌手前川清のTV番組(BSTBS)を観ました。わたしが前にカラオケで歌うことがあった彼の歌「雪列車」に関連して、彼が歌詞について語っていました。作詞は糸井重里氏(作曲は坂本龍一氏)です。歌は「匂うように笑うように雪が降る……」で始まります。「匂うように笑うように」という歌詞の意味を糸井に聞いたら、分かりません、と答えられたそうです。どのように解釈すべきか?わたしはその歌詞について、妙だなと思いつつ歌っていました。その歌詞、その言葉を軽くは感じませんでした。わたしには共鳴するもがありました。言葉の重さとは、一つにはそのようなことではないでしょうか?ついでながら、彼の歌は若いときよりも今の方が重く感じられました。彼の人生が影を落としているのでしょう。
 若い頃、仲間と飲んだ後にはカラオケへ行きました。仲間に歌が上手な人(プロ並み?)がいて、彼に歌を教わりました。前川の歌は難しかったですが練習しました。「長崎は今日も雨だった」、「愛がほしい」、「そして神戸」など何とか歌えるようになりました。最近はまったくカラオケには行っていません。老人にはカラオケは良いようですが。

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2018年2月 8日 (木曜日)

「老年的超越」

 ダウンジャケットを新しく買わねばと思っていた折、吉祥寺で20~30パーセント引きのセールをおこなう店があるということで出かけました。今日が初日、開店時間は十一時。開店後まもなくの時間に到着しましたら、入店規制で5,6分待たされました。混み合う中、まあまあ気に入ったジャケットを買うことができました。単純にいくらかでも安く買うことができれば嬉しいものです。
 店を出たら昼時なので、近くにある駅地下商店街の寿司店に入ろうとしたらいつものように行列待ち。待ち時間三十分でした。持ち帰りの寿司を買って帰宅しました。どうもわたしは行列に並ぶのが嫌いです。十時過ぎに出て帰宅したのが二時前でした。遅めの昼食となる寿司を食べたら、買い物の疲れがでてきたようでしばらく横になり眠りました。

 昨日の朝刊(朝日新聞)にー―衰えても幸せ、「老年的超越」ーーという見出しの記事があり、興味をもって読みました。「老年的超越」とは、スェーデンの社会学者が唱えている―ー高齢期に高まるとされる「物質主義的、合理的な世界観から宇宙的、超越的世界観への変化」――のことです。その記事中で、幸せ観の高い超高齢者が抱く気持ちの例が五つあげられてありました。その例の一つに、「以前のようにできない」ことを悔やまない、とありました。五つの例を見ると、老いの現実をあるがままに受け入れ、くよくよせずに感謝をもって生きることを言っているように理解しました。今のわたしは、そのような「老年的超越」の心境にはなっていません。超高齢者に未だなっていませんから。が、わたしが超高齢者になれたとして、そうなれますかね。

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2018年2月 7日 (水曜日)

ストレスとのつきあい

 昨年の十二月から一月あたりまで時折胃腸の調子が悪くなることがありました。ある問題を抱えていて、それがストレスになって心身、特に胃腸を襲っていたのではなかったかというのが、わたしの見立てです。医者でもないのに分かるかと言われそうです。その問題はとりあえず解決したかに見えています。そのせいか胃腸の調子は元に戻ったようです。ストレスが心身に与える影響は大です。能天気というわたしですが、無意識のうちにストレスがあったのでしょう。それにしてもストレスは生きていく上でなかなか消しがたい存在です。上手くつきあっていくしかありません。ストレスとのつきあいは生きることでもあります。
 インフルエンザが流行していますが、今のところは大丈夫のようです。人混みの場所ではマスクをしたりして予防をしています。体調が思わしくないと酒を飲むことを躊躇します。酒は健康のバロメーターになっています。ここのところは寒いのでほぼ家飲みに徹しています。が、気心の知れた仲間と飲む酒は美味しいです。だんだん温かくなるでしょうから、外でワイワイ飲みたいですね。

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2018年2月 6日 (火曜日)

 人生で一番輝く瞬間

 東京は寒いながら冬の青空が広がりました。TVニュースを見て大雪の福井を思い遣りました。石川、新潟なども大雪に見舞われて生活が大変です。わたしが生まれ育った宮城で子供の頃大雪を経験てしていますが、それほどのことではなかったように憶えています。明るい日差しが射し込む部屋で、大雪に苦労している人たちのことを思います。寒波を止めることはできないでしょうが、雪の災害を手を尽くして少なくすることができたらと思います。

 人生には一番輝く瞬間が誰にもあるのでしょう。人生で最高の充実感を得る瞬間です。充実感は人それぞれに内容が違うかもしれませんが。振り返って、わたしにはそのような経験がまだないように思います(あまりに主観的な問題ですが)。死ぬまで経験できるのでしょうか?ただ手をこまねいていては無理ですから、努力しなければと思うのですが。何かを成し遂げた後に、そのような瞬間がくるのでしょうか。遅ればせながら、頑張るしかありません。そうした瞬間が得られなかったら、人生の最後にそれはそれでわたしの人生であったと悟ることができるでしょうか。

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