カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

2017年9月21日 (木曜日)

秋の涼風が流れて

P1010624 秋らしい爽やかな天気でした。気分も晴れやかになります。近くの昭和記念公園でコスモス祭りをやっているようなので出かけてみたいところでした。

 ここのところ自動車運転役であわただしく時間が過ぎていきました。運転は苦にならないし好きです。が、視力の低下で眼が疲れます。致し方ないことですが。老いていくとは身体の衰弱です。そんな身体をだましだまし死ぬまで生きていかねばなりません。いかにだましだまし生きていくかが老人の在り様です。考えようによっては老人の人生の醍醐味かもしれません。
 そろそろ大学は秋学期が始まるでしょうか。この時期、現役の頃はいよいよ大学が始まるかという思いにとらえられたものです。今はそうした思いはなくただ季節の移ろいに思いがいくだけです。先日、勤めていた大学から十一月初めの建学七十五周年記念式典と祝賀会の案内が届きました。あのキャンパスの自然環境が懐かしいです。新緑と紅葉の季節のキャンパスは特に美しいです。

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2017年9月20日 (水曜日)

酒を吞んで帰り思うことは

 二週間ぶりに馴染みの店で一献。家飲みだけでは息がつまります?ところで内を外を見てもどうなるんでしょうねと思います。隠居爺は時間がありますから、世の中のことじっくり見させてもらっています。そう長く生きるわけではないので正直世の中どうなろうと関係ありません。言い過ぎですか。が、これから生きていく人たちを考えるとそうもいきません。夕方、吞みに出かける時、同じマンションに住む小学生の男の子があいさつをしてくれました。この子が生きていく将来を案じました。
 いろいろ考えると楽観的にはなりません。この能天気な爺にして。飛躍しますが、わたしは政治家になれば良かったかなと思います。大笑いです。しかし以外と適性があったかもしれません。また大笑いです。蛇足ですが、かつて大学教員として学内政治家にはなろうと思いませんでした。まあじっくり生きていきます。死ぬまで。わたしの生き死にはまだ自分の手の中にあります。が、強がり言っているようです。神から見たらどうですか。神をもちださなくても人の生死は自分の手の中にはないでしょうか。所詮、わたしの命は塵芥です。自虐的ではなく現実です。楽しく面白く生きて死んでいきましょうか。

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2017年9月15日 (金曜日)

思い出の鳥海山

 夜、BSTV3チャンネル番組「新日本風土記」は鳥海山でした。とても懐かしく学生時代の思い出がまさに走馬燈のごとく流れていきました。大学のサークルの夏の合宿が山形の新庄市で行われました。その時雄大な鳥海山の偉容に出会いました。なだらかな稜線が美しく山の表情をかたどっていました。その頃は新幹線は走っていませんでした。上野駅から新庄駅までどれだけ列車に乗っていたでしょうか、記憶が定かではありません。今は山形新幹線の終点です。ふと一緒に行ったサークル仲間を思い出します。歳のせいですか昔のことが何かと思い出されます。残された人生、思い出を大事に生きていきたいと思います。ただ明日を見て生きていくことが肝心ではと思います。
 蛇足です。その合宿の時サークル活動から脱走して新庄温泉へレンタサイクルで行きました。三人組です。その行程はよく覚えていませんが、だいぶ遠かったように思います。芭蕉が乗った最上川の船着き場は近くにあったようです。

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2017年9月13日 (水曜日)

考えること

P7140077 時間があれば西の山並みを眺めます。今日の夕焼けも美しく映えて後に暗闇に消えていきました。自然崇拝者ではありませんが、山や海を見ていると人の命の流れを見ているような思いです。海は波が押し寄せては返す動きを止まることなく続きます。山は雲の流れと光の動きの中で絶えず姿を変えていきます。それも命の流れに思えます。
 リタイアした後の生活はどうしても自然の世界に吸い込まれていくようです。社会、他者とのつながりが薄くなるにつれ逆につながりが増えていくのは自然です。花鳥風月を愛する境地ではありませんが。時に残酷なまでに人に襲いかかる自然ではあります。

 たくさんある自由時間を何か考え事に使うことができるのは、老後の楽しみと期待していました。しかし、現実には考えることは易しいことではないと痛感しています。この頃は、学校教育で「考える力」などという言葉、「思考力」を学力の一つとして唱えています。ごもっともなことです、と受け止めていました。でも、それは教師が望む正解に至るように子供に考えさえるというのが実態ではないだろうかと考えたりしています。実はわたしの子供時代は、教師や大人が望む正解から外れた思考をする傾向がありました。したがって、わたしの評価は良くないことがありました。大人からは子供のくせに分からないことを言っているなどという雰囲気を感じさせられました。教師や大人の正解に合わせて子供が考えることは時代をこえてあったように思います。ノーベル賞をもらうような人は、そうした教師の正解に合わせることなく考える人であるのでしょうか?もちろん、数学の正解に合わせることは必要ですが。かつて教師をしていた自分としては、ではあなたは学生にどのように向き合っていましたか、と問われると恥ずかしいです。ただ自己弁明したいところはありますが、今更です。

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2017年9月12日 (火曜日)

自然への畏敬

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 夕方、西の空に美しい夕焼けの風景が広がりました。曇り空が多い最近の空を忘れさせてくれました。ふと東の方を見るとなんと虹がが出ていました。つかの間の美しい空にちっぽけな悩みは吹っ飛んでいきました。自然への畏敬の前には爺の悩みも消えていきましたか。

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2017年9月10日 (日曜日)

憂慮する実存

 昨夜、吞んで帰宅してからちょっとばかり文章を読み直したりして就寝しました。吞んで帰ってからというのが、やはり身体にきつかったようで今日は昼前に二度寝してしまいました。調子にのりすぎたようです。節度というのがあります。何事もほどほどにですか。七十を過ぎた爺にしては物わかりが悪いです。
 秋空が広がりましたが、何かわたしのこころは曇り空のようでした。考え始めるといろいろ憂慮すべきことがあります。ハイデッガーは人間存在、実存について、憂慮(ドイツ語 ゾルゲ)をもちだして説明します。人間、実存は憂慮する存在というようなことを述べています。憂慮することによって、より深く充実した生き方ができるとでも言えましょうか。そうだとすると、わたしの憂慮は否定すべきことではないとなります。とは言うものの……。

 ハイデッガーは日常性に埋没してはならない、というようなことも言っています。同感です。わたしにとって具体的には旅にでも出て非日常性の世界に入ることでしょうか。ここでまた、とは言うものの最初の一歩が踏み出されるまで時間がかかります。

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2017年9月 9日 (土曜日)

呑んで帰って一筆

P1010423 夜はすっかり秋の雰囲気です。宵闇が迫る7時近く馴染みの店の前に立ったら冷房をいれているのか入り口の戸が閉まっていました。店に入るなり、「涼しい風が吹いているのに」と主人に.。冷房はとめられて入り口の戸は開けられました。涼しい風が暖簾をゆらせてカウンターに流れました。馴染みの客がカウンター奥に一人座っていました。今夜は客が。世の中、不景気ですか。ただこの店は駅前というような場所ではなく住宅地の一角にありますが。美味しいイワシの梅煮を食べ、カツオのたたきを食しながら冷酒を4合、これでお終いです。 
 帰宅後、ブログを書いて生存確認です。昨夜は零時前に就寝と思っていましたが、零時半になりました。文章の手直しの都合です。朝起きて仕事へ出かけるわけでもないので。ただ体調管理の問題です。ストレスがなければどうということでもないのでしょうが。まだ10時過ぎたばかりなので、また文書の手直しを。こんな生活が隠居爺の残された楽しみですか?

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2017年9月 8日 (金曜日)

虫の音が響きわたる夜

P7230297 二日続けて午前二時半頃まで文章の手直しをしました。今夜は零時前には就寝しようと思います。やはり夜遅くまで起きていれば体調の管理も難しいです。でも時々は遅くまで起きてというのも良いなと思っています。
 しばらく鳴いていた蝉の声は夜には消えています。代わりに虫の音が響いています。万物流転ですか。カトリックの神父であり人類学者、古生物学者でもあるシャルダン(『現象としての人間』など)は、今も神の手の上で人間は進化し続けていると述べました。そのような思想の壮大さには感心しますが。人間は今どこへ向かって進んでいるのか、と問うことは大事だと思います。人類の繁栄、いや破滅へ、どちらでしょうか。

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2017年9月 7日 (木曜日)

「白露」

P8130330 今日は「白露」でいよいよ秋らしい季節に入るのでしょうか。仕事をしていた時はそうした季節の移り変わりには鈍感でした。仕事から離れてから気にかけるようになりました。季節の移り変わりとともに世の中の移り変わりにもよく目がいくようになりました。世の中というのは人の生き様が浮き彫りにされる場所です。見ていると諸行無常を覚えさせられます。川の流れのように常に流れ続けている人の生き様に無常を感じます。悲観主義になってしまいます。
 が、そうした見方にたてば生きる意味とは何ぞやという問いにぶつかります。無常、虚無をかかえて生きる意味を探しながら生きていくしかないでしょうか。世の中の見方は人それぞれですが。

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2017年9月 6日 (水曜日)

夜更けのコーヒー

P1010620 午後11時を過ぎました。すぐ就寝するにはもったいないような?夜の静寂がひろがっています。外では虫の鳴き声だけが聞こえています。これから少しばかり書きためた文章を読み直してみようかと思いつつコーヒーが飲みたくなりました。一日三杯と決めています。そういうわけでペーパーフイルターを使いコーヒーを入れました。そんな時間が幸せに感じてきます。身体も活き活きしてきそうに思えます。
 
 前に書いたかしれませんが、若い頃仲間と酒を呑んだ後で喫茶店(当時、コーヒー専門店は少なかったです)に入りコーヒーを注文しました。そうすると店から呑んだ後コーヒーを飲むのは良くないと言われました。が、しぶしぶ出してくれました。酒を呑んだ後、本当にコーヒーを飲むのはいけないのか、分からずじまいできました。酔っ払い客を入れたくなかったのではと思ったりしていましたが、やはり良くないのでしょうか。ついでに呑んだ後はよくラーメン店にも入り食べて帰りました。今は食べられなくもありませんが、これ以上太るとまずいので食べません。

 これから文章を読み直しますが、読めば読むほど書き直したくなります。どこかでくぎりをつけないと駄目だと思っています。

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